東京都あきる野市乙津に臨済宗建長寺派の龍化山徳雲院がある。秋川の支流、養沢川のほとりの平地にある禅寺で、境内は梅林の中。石柱門から養沢川にゆく道の傍らにあるのが三ヶ島葭子(みかじまよしこ)歌碑だ。
「筏組む木の音冴えて水ませるあさけのたにに鶯の鳴く」
三ヶ島葭子(1886~1927)は埼玉県入間郡三ヶ島村堀之内(現・所沢市堀之内)の生まれ。埼玉県女子師範学校を中退し、1908年から14年まで、この地の小宮尋常小学校に在職した。その時期、乙津の雑貨商に部屋を借りて自炊。与謝野晶子の門下となり、「スバル」などに短歌や散文を発表。結婚を機に退職したが、その日、小宮村から五日市町まで、校長に引率された全校児童に見送られたという。
上京して16年、島木赤彦の門下となり、古泉千樫の「青垣会」結成に参加した。が、27年麻布谷町(現・六本木)の自宅で逝去。生前の歌集は『吾木香』だけだったが、遺児の尽力で『三ヶ島葭子全歌集』『三ヶ島葭子日記』が刊行されてその全貌が明らかに。
この歌碑は、地元小宮地区の人々が2009年に建立したもの。25歳の時の歌だ。水が増えてきた秋川の初夏の情景を詠んでいる。山で鶯(うぐいす)が鳴くのは初夏。
(増子耕一)