楽譜集の刊行で音楽文化を普及
著作は『世界抒情歌全集』『日本民謡事典』など500冊

音楽文化研究家の長田暁二さんが亡くなった。その知識は作曲家、作詞家、歌手たちが音楽を作りあげていく現場で得たものが非常に多く、驚くほどの博識だった。
長田さんは駒沢大学卒業後、昭和28年にキングレコードに入社。ディレクターとして童謡や歌謡曲の企画・制作に当たり、やがてレコード界の名プロデューサーとして知られることになる。ボニージャックスの「ちいさい秋みつけた」は日本レコード大賞の童謡賞、倍賞千恵子さんのデビュー曲「下町の太陽」は同新人賞を受賞。
長田さんは昭和5年、岡山県笠岡市の禅寺、威徳寺の次男に生まれた。幼少時代から音楽が大好きで、常磐津(ときわず)、義太夫、ジャズ、クラシックとジャンルを問わず聴いて過ごした。
駒沢大学英米文学科に入ったのは仏典を英訳するためだったが、学生時代からコロムビアでアルバイトをしていて、そのまま音楽制作の道に。
楽譜集を刊行するようになったのは昭和33年から。きっかけは企画物のLPを作った時だった。譜面がなくて苦労して探し、手書きで写したが、レコーディングが終わると歌手たちは放置して帰ってしまう。貴重さを知っていたので、それらを集めた。
著作は『世界抒情歌全集』『戦争が遺した歌』『日本民謡事典』など500冊に上る。そこには曲の由来やエピソードがつづられていて、読み物として大変面白く、小紙にも長い間「ポピュラー視聴室」を執筆していただいた。
平成2年、著書が50冊になったとき、記念パーティーが開かれた。リストには軍歌、童謡、山の歌、川の歌など実に多彩。
話を聞く機会も多かった。「山の歌などは替え歌が多い。山に登るとパノラマが開けてのびのびとした気持ちになり、歌いたくなる。ところが楽器も歌詞集もない。それで知っている曲に勝手に詩をつけて歌ったのです」。
「雪山讃歌」は米国の「いとしのクレメンタイン」、「山男の歌」は海軍兵学校の「巡航節」、「穂高よさらば」は「雷撃隊出動の歌」が基になったという。
「私の恩師」というテーマで取材したとき、恩師として名を挙げてくれたのは2歳年下の作曲家、遠藤実さん。
昭和49年、キングレコードに在職中、長田さんは選挙のトラブルに巻き込まれて懲戒処分を受けた。相談したのが遠藤さん。
「君に奢りがあるから罰を受けたんだ。潔く受けなさい。人を恨むことはない。本当に悪いことをしていなければ、会社も何か言ってくるだろう」
そう言われて冷たい人だと思ったという。
選挙が終わると会社から戻るように話があったが、経歴に汚点がついたので未来は開けないと思い、また遠藤さんのところへ。すると今度は「ポリドールで学芸部を作りたいと言っていたので、話をつけておいたよ」と言う。心配して次の仕事場の手配をしてくれていたのだ。
遠藤さんは生家が貧しく、中学校も途中までで、音楽も独学。すでにその頃、日本作曲家協会会長まで上り詰めていた。長田さんはどうして頑張れたのかを尋ねた。
「世の冷たさが師匠だ。冷たくされた時には、自分が悪いとか、試されているとか、何か因果関係がある。だから人を恨むことはない。温かいのはおまけだ」。
長田さんは僧籍にあって信仰心もあつかったが、この言葉はとりわけ身に染みた。
(増子耕一)





