作家、アンドレ・ブルトンによって宣言
第1次世界大戦後の文学・芸術運動
キリコやピカソなどに影響
フランスで最後に大規模なシュルレアリスムの展覧会があったのは2002年だった。今年9月4日に久々の「シュルレアリスム。100周年記念展」(25年1月13日まで)が、パリのポンピドゥーセンターで開催されている。
19世紀後半に起きた印象派に次ぎ、野獣派のフォーヴィスムに続き、シュルレアリスムは1919年に最初の試みが始まり、作家、アンドレ・ブルトンによって宣言された『シュルレアリスム宣言』は、第1次世界大戦後に登場した文学・芸術運動だった。職人を抜け出し、独自の世界を追求しだした芸術家にとって、描く形式だけでなく、テーマそのものの模索が盛んに行われた時代だった。
時は科学の支配が決定的になる時代、芸術は科学との間で葛藤していた。ブルトンは『シュルレアリスム宣言』において理性による監視を排除し、さらには美的、道徳的な先入観からも離れ、思考の真の動きを表現し、記録することを目指した。シュルレアリスムはジークムント・フロイトの精神分析やカール・マルクスの思想に強い影響を受けた。
フランスのシュルレアリスムは無意識の探究を大切にした一方、1930年代に日本に入ってきたシュルレアリスムは奇抜な幻想世界の芸術となり、独自な発展を遂げた。ただ、どちらもフロイトとマルクスが基礎となり、フロイトの夢や催眠状態、覚醒状態、人間の解放が強く意識され、アメリカのジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングなどにつながり、戦後の流れとなった。
シュルレアリスムの洗礼を受けた世界の芸術家は非常に多く、マックス・エルンスト、ジョルジョ・デ・キリコ、パウル・クレー、サルバドール・ダリ、イヴ・タンギー、パブロ・ピカソ、フランシス・ピカビア、ジョルジュ・ブラック、ルネ・マグリット、ジョアン・ミロ、マン・レイなどが一時期、シュルレアリスム作品制作に没頭した。
ただ、そもそも政治色もあった運動は、内部対立や離脱者が続出し、原因は左傾化が進んだことに違和感を持つ芸術家が続出したことにある。さらにナチスドイツの台頭で、シュルレアリスムの画家たちの多くがアメリカに亡命したことも同運動の終息を速めた。アメリカでは抽象表現主義に継承された。
「シュルレアリスム。100周年記念展」はフランスが発祥の運動の経緯と存在を21世紀に生きる若者に伝える目的もある。シュルレアリスムの野心と、それが芸術と社会全体にどのように影響を与え、そして今後も影響を与え続けるのかの両方を考えさせられる展覧会だ。
同展では、運動を育み構造化した文学者や神話を織り交ぜた13章を、年代順とテーマ別の旅の形で紹介している。
全体は、フランス国立図書館からの特別貸与により、運動と展覧会の基礎となるアンドレ・ブルトンの『マニフェスト』の原本を中心に構成されている。ただ同展の心臓部は作品にあるので、主要作家の作品が展示されている。
シュルレアリスムが追求した世界には全体主義、専制主義、植民地主義への強い批判と人間の自由と尊厳が中心に据えられている点では、21世紀に通じるものもありそうだが、どう受け継がれるかは宗教や死後の霊的世界を含め、再考する必要がありそうだ。
(安部雅延)