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母方の実家は、少年時代によく通ったものだが…


 母方の実家は、少年時代によく通ったものだが、当時はかやぶき屋根だった。屋根の上に、ぺんぺん草などがひょろりと生えていたことを覚えている。その家の裏手には、清冽(せいれつ)な小川があり、そこにフキなどが自生し、夏にはギンヤンマのヤゴが脱皮する風景も見られた。

 また裏庭には、登るのに手ごろなグミの木があり、赤く熟れた実を摘んでは食べた。甘くてやや渋い味がして夢中になって口に運んだ。そのために口の中や実を詰め込んだシャツが真っ赤に染まったことを思い出す。そうした風景も今では都市化されて記憶の中にしかない。

 どこも都市化されるまでは、自然の森や林だった。それが開拓や開発によって変わっていく。東京の郊外にある武蔵野と呼ばれた地域も、明治時代は林ばかりの自然があふれた所だったが、今ではその面影はほとんどない。

 一部の所に点在する疎林などがかつての風景をしのばせるだけである。その武蔵野の豊かな自然を書き留めたのが、明治時代の作家・国木田独歩だ。

 その作品「武蔵野」は、詩情をたたえた文章で、伝統的な日本文学の自然観では何もない所と思われていた武蔵野の林間の美しさを表現した。それが可能だったのは、ロシア文学、特にツルゲーネフの小説の自然描写から学んだからである。

 自然を客観的に観察することで、武蔵野の自然美を発見した独歩は、明治41(1908)年の今日亡くなった。忌日は、「独歩忌」と呼ばれている。