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「……のキッカケは何ですか?」という質問を…


 「……のキッカケは何ですか?」という質問を耳にする機会が近頃多い。テレビ番組で特に多い。問われた側も「キッカケは××です」と答えて終わりとのケースがほとんどだ。

 「私の場合、キッカケという語はなじまない」といった回答に接したことはない。ほとんど全てが「キッカケ」で成り立っているように見える。

 だがまた、この世は、キッカケで説明できないことも多い。例えば徐々に事が積み重なって、時間の経過の中で何かが成立する場合。「……のキッカケは?」という問いのスタイルは、今から50年前にはそれほど多くなかった。

 半世紀にわたる歴史の流れの中で、キッカケを重視する傾向が生まれたのだろうが、「これがキッカケだ」と特定することは困難だ。「気付いたらそうだった」という類いの話はそこそこ多い。

 一方、突然変わることも人生には多い。その場合も、キッカケを特定することは難しい。「変わった」という現実があるだけなので、その現実に直面した本人にもキッカケは分からない。

 夏目漱石の『こころ』(大正3年)には「それ(普通の人間)が、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしい」という言葉がある。「急に」がポイントだ。変化があまりにも急なので、当人もキッカケを特定できない。何でもかんでもキッカケについて説明できるわけではなく、重要な変化は「キッカケ外」で起こることも多い。キッカケ外にも、もう少し目を向けてもらいたい。