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駆け足だったが、先週末に伊勢神宮と熊野三山…


 駆け足だったが、先週末に伊勢神宮と熊野三山をお参りした。日本を代表する聖地を訪ね、日本人の信仰と文化についていろいろと考えさせられた。

 熊野といえば中世の白河上皇ら歴代上皇の熊野御幸(ごこう)が有名だが、その後は一般庶民も盛んに詣でるようになった。白装束の参詣人が列を成して熊野古道を行くさまを「蟻(あり)の熊野詣(もうで)」と呼んだ。障害を持つ人やハンセン病を患う人も多く詣でたという。

 熊野詣が庶民に広まったのは、山伏や熊野比丘尼と呼ばれる人々が、熊野参詣図を持って国々を回り、その功徳を説いたためと言われる。

 さらに拍車を掛けたのが「説経節」の「小栗判官」の物語。ハンセン病患者となった判官が、妻・照手姫の愛と熊野権現の霊験によって病が癒えるという話は、人々の熊野への憧れを掻(か)き立てた。熊野古道は「小栗街道」とも呼ばれるようになる。

 「伊勢へ七度、熊野へ三度」と言われるが、伊勢神宮は皇祖神天照大御神を祀(まつ)るいわば皇室の氏神だ。それが一般にも広がり、江戸時代には「お蔭(かげ)参り」が盛んに行われた。一方の熊野信仰は、この地方の修験道や民間の信仰が貴族そして皇族に広まったという。

 皇室の信仰から始まり庶民にも広まった伊勢、在地の民間信仰から始まり貴族や皇族の崇敬を集めた熊野。二大聖地への信仰は、皇族、貴族、武士、庶民がそれぞれ影響し合って発展・継承されてきた。日本人の信仰・文化の豊かさと重層性の所以(ゆえん)である。