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「いちじくをもぐ手に伝ふ雨雫」(高浜虚子)…


 「いちじくをもぐ手に伝ふ雨雫」(高浜虚子)。農業に従事している知人からイチジクのジャムが送られてきた。今年の夏は特に暑かったので、大量に実が熟したのだという。

 イチジクは漢字で「無花果」と書くが、この漢字を見るたびに違和感を覚える。秋の季語でもあり、稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には「高さ三メートル以上になることもある落葉樹。花が咲かずに実るというのでこの字をあてているが、実際は初夏、葉のつけ根に卵形で緑色の花嚢を生じ、その内側に小さい粒々の花を無数につけている」とある。

 昔の人にとっては、イチジクには花が咲かないとしか思えなかったのだろう。本当は「無花果」という漢字は変えなければならないのだが、伝統的に使われて慣れ親しんできた面がある。第一、この漢字を使う機会はあまりないだろう。

 「拾ふ気になれば団栗いくらでも」(柳本津也子)。秋が来たことを実感した出来事がある。東京・調布市にある白樺派の文学者、武者小路実篤の記念館と実篤公園を散策していた時のこと。

 頭上から大地に何かがボトリと降って来たので、拾ってみるとドングリだった。幼少時代には、ドングリを拾うために寺院などをよく訪ねたものだった。ドングリでコマを作ったりしたことも思い出す。

 今では、都会ではなかなかドングリを見ることもない。花や紅葉だけではなく、自然の移り変わりを知らせてくれるドングリが懐かしい。