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今回の横綱日馬富士をめぐる問題を伝える…


 今回の横綱日馬富士をめぐる問題を伝えるテレビのワイドショーを見ながら「何も変わっていない……」と思った。事実と伝聞の区別がないまま報道が行われ、それに基づいて司会者やコメンテーターの間で議論が交わされる。

 おなじみの光景なので、不思議なこととも思わなくなっている。事実を積み重ねて真相に近づくのではなく、事実と伝聞の混合物が単に増殖するだけだ。混乱を収拾するのではなく、むしろ増大させて真相の解明を先に延ばそうとしているのではないかとさえ思われる。

 もちろん、意図して「真相を隠蔽(いんぺい)しよう」などと思っているわけではないだろう。自然にそうなってしまうだけだ。だから余計面倒だ。

 意図は方向転換も可能だが、そうではないだけにややこしい。こうした状況が「いつ変化するのか」と待つしかないのももどかしい。

 一例。「大変なことになる」という誰かの発言があった場合、「大変なこと」とは何か?をめぐって議論が噴出することがある。その際、発言がどういう場面でなされたのかについての問い掛けがないまま、発言内容に関して不必要な詮索の方向へと進んでしまうことが多い。

 人が言葉を発する時、それほど厳密なわけではない。事実の領域である現場と、伝聞に頼らざるを得ないスタジオとの距離感は相当大きいはずなのだが、その点は無視されたままだ。皆忙しく、ワイドショーの流儀なぞ気にする余裕がないのかもしれない。