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「だれかれに耳打ちなどをして武士たちから…


 「だれかれに耳打ちなどをして武士たちからうとまれるようなことがあってはならぬ」と源頼朝は弟の範頼に手紙を送った(石井進著『日本の歴史』7巻、中公文庫)。

 耳打ちの目的は、その場のトップが耳打ち相手と親密であることを周囲に示すためとされる。耳打ちされた部下は「範頼に信頼されている」と考えて悪い気がしない場合もあるだろうが、「周りから反感を買うだろう」と気を回して困惑する者もいるはずだ。

 余計な誤解を招かないためにも、耳打ちなぞやめた方がよいという頼朝の助言だったのだろう。範頼は耳打ちのクセがあったのか、頼朝がそんな場面を目撃したことが一度ならずあったのか。

 1193年に富士の裾野で曽我兄弟による仇(あだ)討ち事件が起こった時、現地に滞在していた頼朝が暗殺されたとの噂(うわさ)が流れた。それを鎌倉で伝え聞いた範頼は、心配する頼朝の妻北条政子に向かって「自分が健在だから、源氏の血脈が絶えることはない」と言ったという。

 耳打ちとは関係ないが、総帥である頼朝の安否が不明な中での軽はずみな発言は謀叛(むほん)と見なされ、範頼は伊豆へ配流となった。範頼発言は「頼朝の後継は自分」と語ったと受け止められる余地はある(義経はすでにいない)。

 範頼はその後処刑されたという説もあり、消息は分からないとの説もあるが、歴史の舞台から消えた点では同じ。範頼の発言に、耳打ちという軽率な行為に通じる一面があることは確かだ。