世界日報 Web版

「きらめきて銀河に流れある如し」(高浜年尾)…


 「きらめきて銀河に流れある如し」(高浜年尾)。銀河という言葉には、宇宙の無限の広がりが感じられる。それは気流子が幼少時代に、蛍狩りなどで夜空を見上げた時、あまりに圧倒的な天の川の姿を見たからである。

 まさしく俳句にある通り、星が川のように流れていると感じた。天の川は七夕に結び付いて、情緒的でロマンチックな印象を受けるが、実際に目撃すると、そんな気持ちは吹き飛んでしまう。ただただ、自然の姿に畏怖(いふ)を覚えるしかない。それは感動とも違う。

 昔の人々は、こうした畏れを感じながら生活していたのだろう。現代の都会の夜は、ビルやその他の照明で真っ暗な場所は少なくなって、どこへ行っても人工的な明るさであふれている。それはそれで安心できるのだが、どこか空虚で観念的な気持ちにもなりやすい。

 都会では、晴れていても星はそれほど見えないのが当たり前。ただ、月の光がアクセントのように自然の息吹を伝えている。。

 「銀漢や吾に老ゆといふ言葉きく」(星野立子)。天の川の別名に「銀漢」という言葉がある。天の川というと柔らかいイメージだが、銀漢となると、やや硬質な印象を受ける。この言葉の背景には、古代中国の宇宙観がある。地上の漢水の気が天にのぼってなったという見方によるものだ。

 この時期に夜空に広がる天の川は神秘的である。過去の人々、死者や先祖たちの姿に重なって見えたりするのは、お盆だからだろうか。