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「江戸時代の正月風景で案外参考になるものに…


 「江戸時代の正月風景で案外参考になるものに、式亭三馬の『浮世風呂』みたいな滑稽本のたぐいがございますね」。このほど亡くなった小説家の杉本苑子さんが故村上元三さんと対談した時の言葉だ(小紙「江戸新春芝居」1983年1月1日付)。

 杉本さんは豊かな歴史知識を生かして時代小説を書き続けたが、その知識を取り込むことに苦労した。78年に吉川英治文学賞を受賞した「滝沢馬琴」は、先輩作家の村上さんも絶賛した。

 だが、杉本さんは「めくら蛇におじず書きはしましたけれど、難しいですね」と本音を漏らす。「当時の芝居町の状況がどうだったか、細かいことはぜんぜんわかりません」というのが本当のところ。

 これは先輩の村上さんも同様で、自分の芝居の小説についても「半分、頬かぶりして書いたようなものです」と相槌(あいづち)を打つ。杉本さんが小説の勉強をしたのは、「宮本武蔵」の作者、吉川英治の下で。

 恩師には何人もの弟子がいたが、原稿を売ることを認めたのは杉本さんただ一人。「吉川先生も、作法上のテクニックは教えてくださいましたが、個性に影響を与えるような発言は、一度もなさいませんでした」。

 自宅は熱海にあって、当時は母親と2人暮らし。移って3年目で、地元の走湯(はしりゆ)権現、来宮(きのみや)神社、鹿島踊りなどにも興味を持った。とりわけ温泉芸者の現状には詳しく、こうした知識が時代小説にも生かされて文学性と娯楽性を支えていたのだ。91歳だった。