世界日報 Web版

みのもんたさんが先月、息子の犯罪による…


 みのもんたさんが先月、息子の犯罪による報道番組降板に関して会見した。成人した息子が起こした事件に、親がどれだけ責任を問われるのかが焦点の一つとなった。が、みのさんという特定の個人が置かれた立場を考えると、通常とはやや違った側面も見えてくる。

 スタジオに政治家を呼んで時にどなりつけるのは、報道番組の司会者という地位があってはじめて可能なこと。その意味で、みのさんは権力者だった。収入も莫大だっただろうし、豪邸もそれにふさわしいものだった。

 みのさんは常々、「我々庶民」という言い方をしていた。その言葉に接するたびに「こういう言い方はやめておけばいいのに……」と思ったものだが、身分の「偽装」とも言うべき物言いが改善される前に番組を退いてしまった。

 会見でみのさんは「自分が降板せざるをえない風潮」という言葉を使った。そうした風潮はここ20年から30年の間のものだが、それを生んだ一人がみのさんであったことは紛れもない。

 明敏なみのさんでも、自身の置かれた現状を必ずしも十分には認識していなかったのだろう。何かが少しばかりズレていた。その点では、晩年の豊臣秀吉のようでもあった。

 政治権力者を批判するためには、政治家以上の倫理性が要求される。今回の騒動は、テレビ番組の内部で肥大した自身の権力によって、みのさんが押しつぶされたもののように見える。