世界日報 Web版

祇園祭の「コンチキチン」を聞きそびれた。…


 祇園祭の「コンチキチン」を聞きそびれた。昨年は新型コロナウイルス禍で山鉾(やまぼこ)巡行が中止となったが、今年は一部で山鉾が建てられ、祇園囃子(ばやし)が奏でられたという。が、あいにくテレビを見損ない、新聞で知った。

 宵山は大概、梅雨明けの熱帯夜。うちわを片手に提灯の間を行き交う人波に笛、鉦(かね)、太鼓の音が降り注ぐ。京都で青春期を過ごした気流子にとっては心に刻まれた風景だ。

 起源は、疫病や災害が広がった平安期。これを八坂神社の祭神・牛頭天王(ごずてんのう)の祟(たた)りと捉え、鎮めるために全国の国をなぞった鉾66本を立て、御霊会(ごりょうえ)を催したのが始まりだ。実に東北を襲った貞観地震(869年)から12日後の旧暦6月7日のこととされる。

 奥州では、藤原清衡が白河関から津軽外ケ浜に至る奥の大道一町(106メートル)ごとに笠卒塔婆(かさそとば)を建て、表に金色の阿弥陀如来を図絵した。往還の旅人は、弥陀の姿に引接されて浄土を思わせる平泉の中尊寺に至った(「ひらいずみナビ」)。

 66本の鉾を建てるのも、幾千もの笠卒塔婆を建てるのも、並みの事業ではない。疫病と災害からの、まさに復興事業だろう。世界遺産となった京都と平泉には、そうした先人の熱い思いが通底している。

 開幕した東京五輪も元来、「復興五輪」ではなかったか。東日本大震災にコロナ禍が加わり、世界の復興が願われる。無観客には「コンチキショウ」と口惜しいが、リモート応援でも心は通じる。さぁ、大成功を期そう。