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今月亡くなった橋田壽賀子さんが生前、「芸術…


 今月亡くなった橋田壽賀子さんが生前、「芸術は一流、われわれは二流」と語っていたのをテレビ報道で見た。文脈から見て、文化勲章を受章した時の発言と思える。橋田さんも「芸術」という観念を持った人だったのだと思った。

 「われわれ脚本家は二流だ。だから芸術ではない」という意味だったのだが、芸術を重く見る考えが95歳で亡くなった橋田さんにあったのが面白い。

 「芸術が上で、脚本は下」というランク意識は、1970年以前には厳然とあった。芸術には輝かしさがあった。「芸術祭参加作品」という言葉が、映画の宣伝文句の中で誇らしげに使われていたのを記憶している。

 70年から半世紀後の21世紀・令和の今、芸術という言葉は死語とまでは言えないが、ひどく古めかしいものと化してしまった。教養という言葉も同様だ。

 橋田さんより10歳年少の演出家である故蜷川幸雄が、優秀な若手俳優の名前を列挙しながら「彼らはサブカルチャーの中でしか育っていないから、違う世界があるんだということを知らしめたい」と語ったのは2006年のことだ。

 サブカルチャーは若者文化などのこと。それとは「違う世界」に相当するのが芸術だ。「無知な若手に芸術を知らせてやりたい」とのメッセージだった。「芸術崇拝」は今時はやらないが、サブカルチャーばかりが文化ではない。「芸術もしっかりしぶとく生きている」との蜷川発言は15年後の今も有効だ。