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今さら花見の話でもあるまいが、ここ数日…


 今さら花見の話でもあるまいが、ここ数日、じっくりと桜を見る代わりに「桜」の歌を聴いていた。森山直太朗さんの「さくら」をはじめとして、桜にまつわる名曲は多い。

 それをメドレーのように聴いていると、気流子も自分の学生時代をしみじみと思い出した。といっても、歌詞にあるような劇的な別れや追憶があったわけではない。

 ただ、桜の開花と散り際を一つの季節の区切りだけではなく、人生の区切りとして意識するような気持ちになったからである。

 それはこの時期に卒業式や入学式が行われるため、出会いと別れの時期だったからだろう。どんなに親しい間柄でも、いつまでも一緒にいられるわけではない。学校を卒業すれば別な環境へとそれぞれ旅立つことになるし、同じ学校に入学しても新しい出会いによって関係にも変化が訪れる。

 中国の唐の時代の漢詩に、王維が西域に赴任する友人との別れを詠んだ七言絶句がある。酒を酌み交わしながら、最後に「西の方陽関を出づれば故人なからん」と別れを惜しむ思いで感情あふれた詩句を結んでいる。当時は二度と会うことができない任務でもあったのだ。

 森山さんの「さくら」は友人との別れをパセティックに歌ったものだが、そのほか春が来たことを喜ぶ松任谷由実さんの「春よ、来い」も何度も聞いてしまう名曲。やはり背景には出会いと別れがある。桜の短い開花はそんな人生の機微に触れて忘れ難い印象を残す。