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寡聞(かぶん)にして知らなかったのだが…


 寡聞(かぶん)にして知らなかったのだが、この原稿を書くために記念日などを検索していると、きょうは「漱石の日」なのだということが分かった。最初は「漱石忌」のことかと思っていたが、「漱石忌」は12月9日(没年1916年)のはずである。

 この日が制定された理由が振るっている。1911年に当時の文部省が夏目漱石の功績に対し、文学博士の称号を与えようとした際、漱石が拒絶した日だそうだ。その断りの文句が「自分には肩書は必要ない」。

 これだけで記念日になってしまうのだから、明治の文豪というのは偉いものである。漱石が断った背景は分からないが、文学者の矜持(きょうじ)をそこに見ることができる。そういえば、漱石と並び称される森鷗外にも似たような言葉があった。

 軍医としてもトップを極めた鷗外は「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言を残して一切の栄誉や称号を拒絶した。漱石も鷗外も、虚名や虚飾を嫌ったのかもしれない。そこに、明治人のプライド、生きざまを見る思いがする。

 あまり知られていない「漱石の日」と思っていると、この日には漱石らの文豪を登場人物にしたアニメ「文豪ストレイドッグス」シリーズがインターネットで一挙配信されるという記事があった。

 アニメとして放映される漱石は泉下で苦笑しているかもしれない。漱石のデビュー作は、ユーモアあふれる『吾輩は猫である』。末長く愛されて、案外喜んでいるかもしれない。