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新元号「令和」制定を機に「万葉集」への…


 新元号「令和」制定を機に「万葉集」への関心が高まっている。気流子も岩波文庫の『万葉集』を読みながら感動を新たにしているが、一方で驚くこともある。

 例えば、柿本人麻呂が軽(かるの)皇子(みこ)の遊猟に従った時詠んだ<東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてかえり見すれば月かたぶきぬ>と高校の古典の授業で習った歌は<東の野らにけぶりの立つ見えてかえり見すれば月かたぶきぬ>となっている。

 同書の注によると、歌の原文は「東野炎立所見而反見為者月西渡」。古くは「炎」を「けぶり」と訓(よ)んでいたのを、賀茂真淵が曙光(しょこう)の意味で「かぎろひ」と改訓した。だが、曙光を「かぎろひ」とする用例はないという。また「かぎろひ」であれば「燃ゆ」で「立つ」とは言わないなどと詳しく述べている。

 この岩波文庫『万葉集』は2013年初版で、同書店の新日本古典文学大系の佐竹昭広氏ら5人の校注になる『萬葉集』を底本にしている。万葉学の最新成果を元にしたものだ。

 確かに歌の意味や前後の歌との関係からしても、この新訓の方が正しいのではないかという気がする。かつて故梅原猛氏は『水底の歌』などの万葉論で、近代万葉学が真淵の呪縛の元にあることを指摘してきた。

 一時期、この歌などを韓国語で訓むと全く違う意味の歌になると論じた本が話題になったことがあったが、どれも学問的根拠のないものだった。地道な万葉研究の成果を知るためにも、改めて万葉集を読んではいかが。