世界日報 Web版

日本映画の巨匠、小津安二郎監督は昭和38…


 日本映画の巨匠、小津安二郎監督は昭和38(1963)年12月12日の還暦の誕生日に世を去った。祥月命日には親族やゆかりの人々、熱心なファンが北鎌倉、円覚寺の墓に詣で、近くの日本料理店で懇親を深める「小津会」を開いている。

 その小津会に知人の誘いで今回初めて参加した。当日は天気にも恵まれ、境内は終盤の紅葉が美しかった。まさに「小津日和」。

 墓に到着した時には読経が始まっていた。「無」の一字が彫られた墓石は特に大きなものではないが、奥行きが50㌢ほどあって、小津映画の奥深さに通じるように思われた。

 墓前には赤いバラや日本酒が供えられていた。赤いバラについては、毎年の祥月命日の早朝、原節子が供えているという噂もあった。石坂昌三氏が『小津安二郎と茅ヶ崎館』に書いているが、それ以来のしきたりなのだろうか。

 小津監督の墓の向かい側には、木下恵介監督の墓もある。会では「早春」以降の小津作品をプロデュースした山内静夫さんが「人間的にも偉大な小津先生と一緒にお酒を飲めたのは幸せだった」と笑わせ、小さい時の小津の思い出を聞かれた姪の小津亞紀子さんは「大きな人という印象でした。頬ずりしてもらった時のひげの感触が忘れられない」という。

 小津が大きな人だったという印象は多くの人が語っている。身長は170㌢、当時では大柄で写真を見ると肩幅が広い。それ以上に人間的な大きさを感じさせる人だったのだろう。