これまで「神道」とは何か、「仏教」とは何か、「儒教・儒学」とは何か、そして「信仰、宗教、倫理、修身、道徳」とはそれぞれどのようなもので、互いにどのような関係にあるのかについて説明してきました。ここからは、いよいよ仏教の理(ことわり)について、詳しく勉強していきたいと思います。
■日本に伝わった仏教
日本の仏教は、百済(くだら)の聖明王の親書と共に仏像や経典などが欽明(きんめい)天皇へ贈られ、公伝しました。年代については、『日本書紀』の552年説と、『上宮(じょうぐう)聖徳(しょうとく)法王帝説』『元興寺(がんごうじ)縁起』などの538年説があります。
最初から日本人が仏教をすんなり受け入れたわけではありません。仏教を受け入れようとする蘇我(そが)氏と、それに反対する物部(もののべ)氏などの争いもありました。
しかし、その後、用明天皇が仏法に帰依(きえ)したことが『日本書紀』に記されています。さらに推古天皇、聖徳太子の時代には仏教興隆が本格的に進んでいきます。聖徳太子は仏教を単なる「外国の神や文化」としてではなく、人間がどう生きるべきか、国をどう治めるべきかを考えるための大切な教えとして捉えていました。法隆寺や四天王寺の建立などを通じ、日本仏教の基礎を築いた人物として位置付けられています。
天皇と仏教の関係は飛鳥・奈良時代だけではなく、平安、鎌倉、室町、江戸時代、そして幕末の孝明天皇の時代まで続いていました。天皇や朝廷は寺院と深い関係を持ち、宮中ではさまざまな仏教儀礼が行われました。
天皇と仏教の関係については、また詳しく説明します。興味のある方は、「御寺泉涌寺(みてらせんにゅうじ)」「黒戸」「後七日御修法」についてぜひご自身で調べてみてください。

■日本で花開いた大乗仏教
大切なのは、日本に伝来した仏教は、すでにインド、中国で成熟した「大乗仏教」であったことです。聖徳太子は、「勝鬘経(しょうまんぎょう)」「維摩経(ゆいまきょう)」「法華経(ほけきょう)」などを自ら学び、仏教の教えによって日本全国の民を救いたいと考えていたと思います。
ただし、日本は大乗仏教だけを学んだわけではありません。奈良時代初期にはインドの古い部派仏教から生まれた思想や仏教哲学の基礎となる学問まで、日本人は実に幅広く仏教を学んでいました。その代表が「南都六宗(三論宗、成実宗(じょうじつしゅう)、倶舎宗(くしゃしゅう)、法相宗(ほっそうしゅう)、華厳宗(けごんしゅう)、律宗(りっしゅう))」です。
当時は、独立した宗教教団というより、「仏教を研究する六つの学問分野」と考えた方が分かりやすいでしょう。学僧は相互に交流し、仏教の根本を研究していたと考えられます。
そこで今回は、その中で残念ながら現存していない三論宗、成実宗、倶舎宗を紹介します。
■三論宗「すべては空」
三論宗の中心となる考えは「空」です。私たちは、「財産」「地位」「成功」「幸福」などを、不変なものだと思いがちです。しかし仏教では、「否」と問い掛けます。
すべてのものは、多くの原因と条件が集まって一時的に存在しているだけで、永遠に変わらないものはありません。これが「空」の考え方です。「何も存在しない」という意味ではありません。
何事にも執着し過ぎず、物事を固定的に考えない。それこそが苦しみから自由になろうという智慧(ちえ)です。
■成実宗「自分さえも固定されたものではない」
成実宗の教義においても、物事には固定した実体がないということが深く考察されています。私たちは「私は私だ」と思っています。しかし気持ちも考え方も、すぐに変わります。身体でさえも変化(老化)しています。昨日の自分と今日の自分とでさえ同じではありません。
では、「絶対に変わらない私」とは、いったいどこにあるのでしょうか。そう考えていくと、人間も世界も、さまざまな原因と条件によって成り立っていることに気付きます。これは後の大乗仏教の「空」を理解する上でも、大切な学問となりました。
■倶舎宗「人間と世界を徹底的に分析する」
倶舎宗は少し趣が違います。心とは何か。物とは何か。善とは何か。悪とは何か。なぜ人は苦しむのか。行いはどのような結果を生むのか。そうした人間と世界の仕組みを、驚くほど細かく分類し、分析しています。
いわば「仏教の心理学・哲学・世界論」です。物事には必ず原因があり、条件があり、その結果が生まれる。自分の行いも、心の動きも、突然生まれるわけではない。だからこそ、自分の心と行いをよく観察しなさい。倶舎宗の学問からは、そのような仏教の基本姿勢を学ぶことができます。
■日本人は「仏教の理」を学んできた
三論宗、成実宗、倶舎宗…。難しそうな名前ですが、突き詰めれば、問い掛けていることはとても身近です。
「この世界とは何なのか」「私は何者なのか」「なぜ人間は苦しむのか」「どうすれば執着から自由になれるのか」「善い行い、悪い行いは、どのような結果を生むのか」
つまり、仏教は単に仏様を拝み、ご利益をお願いするためだけのものではありません。世界の「理」を知り、人間の「心」を知り、より良く生きる道を考えるための壮大な学問でもあったのです。
聖徳太子をはじめ、歴代の天皇や多くの僧侶たちが、こうした難しい仏教の教えをありがたく学び、千年以上にわたって日本人なりに考え続けてきました。仏教が語る「空」「縁起」「無常」「因果」といった世界の真理については、これから少しずつ考えていきたいと思います。
その前に、まずは日本人がどのような仏教を受け入れ、育ててきたのかを見ていきます。次回から、日本の十三宗を一つずつ解説します。まず「法相宗」についてお話ししたいと思います。
プロフィール
藤 宗現(ふじ・そうげん)
本名・藤重太。「宗現」は茶道の宗号。1967年、東京都生まれ、千葉県育ち。成田山(真言宗)が運営する成田高校を卒業。18歳で単身台湾に留学、国立台湾大学を卒業。現在は日本と台湾の交流アドバイザーなど顧問業を生業とする。台湾留学や日本語講師を経て、日本人としての自覚を強め、古き良き日本を探究中。35歳で仏門に帰依し、仏教を本格的に教わる。その後、「仏教だけでは日本の本質は理解できない」と考え、神道や儒学の研究も始める。「神さま 仏さま お陰さま」の神仏習合の精神を掲げ、日本の国史(主に思想史)、そして本来あった日本の信仰心や宗教心についての勉強会や講演活動などを行っている。









