トップコラムいにしえの日本を考える(13) 日本の道徳と神仏儒 新しい精神文化の再構築を

いにしえの日本を考える(13) 日本の道徳と神仏儒 新しい精神文化の再構築を

 今回はこれまでのまとめとして、「日本の道徳」と「神道」「仏教」「儒学」について整理したいと思います。これまで「信仰」と「宗教」、「神道とは何か」「仏教とは何か」「儒教と儒学」、さらに「道徳・倫理・修身」の関係など、普段あまり考えないテーマについてお話ししてきました。今回は、それらを一つの流れとして分かりやすく解説してみたいと思います。

■「日本の民族信仰」と「神仏習合」

 第3回では広義の神道を日本の「民族信仰」と位置付け、第6回では日本の本来の宗教は「仏教」であるとの私見を述べました。さらに第7回では、日本人の信仰と宗教の原点は「神仏習合」にあったという持論を説明しました。そして前回は、「信仰」「宗教」という土台のない「倫理」「道徳」には限界があるのではないか、という問題提起をしました。

 「いにしえの日本」の姿を考える時、その道徳社会の土台にあったものこそ、「民族信仰としての神道」と「日本仏教」、そして両者が融合した「神仏習合」だったのではないかと思います。

 山や海、森、祖先、そして八百万の神々に感謝し、目に見えないものに畏敬の念を抱く日本人の信仰。一方で、歴代の高僧や聖人たちは、天皇や貴族、武士から庶民に至るまで、人生の苦しみや無常、人としての生き方を仏教の教えとして説いてきました。日本人は、神様と仏様を排他的に分けることなく、共に敬ってきました。この神仏習合の文化が、長い時間をかけて日本人の精神文化を形作ってきたのだと思います。

■「日本儒学」と日本人の智慧

 さらに日本は、『論語』『孝経』や五経をはじめ、中国の儒教や漢籍、東洋思想から、政治制度、社会秩序、家族の在り方、人間関係など多くのことを学びました。

 しかし、日本人はそれをそのまま受け入れたのではなく、日本の風土や社会に合わせて取捨選択し、日本独自の智慧(ちえ)として取り入れてきました。私はこれを「日本儒学」と呼んでいます。

 もちろん良い面ばかりではありません。江戸時代には、本来「自分を修め、人を思いやる」ための儒学が、身分制度や社会秩序を維持するために利用され、「他人を治め、管理するための教え」へと変質していった面もありました。

 それでも近代以前の日本人の生活には、神様への畏敬と感謝という「信仰」、仏様の教えという「宗教」、そして儒学をはじめとする「生活の智慧」が重なり合って存在していたのだと思います。

 神道から謙虚さと感謝を学び、仏教から人生の無常や苦しみを理解し、その中で安心(あんじん)を得る道を学ぶ。そして儒学から、人と人との関係や思いやり、社会の中での振る舞いを学ぶ。これらが互いに補い合っていたのでしょう。

■個々人に存在した倫理観と道徳心

 当時の人々は、いわば「神さま、仏さま、お陰さま」という世界の中で、自分なりの生き方や原理原則、つまり「倫理観」を育て、日々の生活の中で「修身」に励み、生きていたと思います。その積み重ねが、社会全体の「道徳」につながっていたのではないでしょうか。

 また、学びの場は学校だけではありませんでした。家庭、大家族、村社会、寺子屋や藩校、仕事、奉公、手習い、稽古事など、生活そのものの中に学ぶ機会がありました。子供はそこで社会常識や礼儀、人との付き合い方、自立して生きる術(すべ)を身に付けていったのでしょう。

 「昔は良かった」と単純に懐古するつもりはありません。しかし、古き良きものを振り返り、その長所を現代に生かすことまで否定する必要はないと思います。

■現代の精神文化の再構築

 私たちが目指すべきなのは、明治以前の社会へそのまま戻ることではありません。ましてや国家が特定の宗教や思想を国民に押し付ける社会であってはいけません。

 大切なのは、日本人が長い歴史の中で育んできた精神文化を知り、その良い部分を現代に合った形で再構築することです。

 明治以降、神と仏は制度的に分離され、さらに戦前には国家と宗教が強く結び付き、「修身」という名で「思想教育」が国民に強要されました。その反動から戦後は「政教分離」を強く意識し過ぎた結果、、逆に歪(ゆが)んだ歴史教育や道徳教育が行われているのではないでしょうか。

 「歴史に宗教色を持ち込まない」「宗教を公共の場から遠ざける」「教育で宗教や信仰を扱わない」。その結果、宗教や信仰、死生観について触れる機会が少なくなり、日本人の精神的・思想的背景を十分に理解する機会が失われているのではないでしょうか。

■正しい政教分離社会へ

 本来の政教分離とは、宗教を社会から排除することではありません。国家が特定の宗教や思想を強制せず、信じる自由も、信じない自由も保障するための原則です。

 これから必要なのは復古ではありません。神道、仏教、儒学、さらに世界の宗教や思想から自由に学び、自分自身の生き方、死生観、倫理観を考えることのできる社会を築くことです。

 国家は宗教に中立であり、社会は宗教に寛容であり、教育では多種多様な宗教について正しく学ぶ機会を与える。そして神社や寺院も地域社会と再びつながり、人々が心を整え、人生を考える場所としての役割を取り戻していく。

 それこそが、過去へ戻るのではなく、これからの日本に必要な「新しい精神文化の再構築」だと思うのです。そして、最後には個々人が自立して、自分の「倫理観」と生き方を実践(修身)し、皆にとって居心地の良い道徳社会が出来上がることを信じています。

プロフィール
藤 宗現(ふじ・そうげん)

本名・藤重太。「宗現」は茶道の宗号。1967年、東京都生まれ、千葉県育ち。成田山(真言宗)が運営する成田高校を卒業。18歳で単身台湾に留学、国立台湾大学を卒業。現在は日本と台湾の交流アドバイザーなど顧問業を生業とする。台湾留学や日本語講師を経て、日本人としての自覚を強め、古き良き日本を探究中。35歳で仏門に帰依し、仏教を本格的に教わる。その後、「仏教だけでは日本の本質は理解できない」と考え、神道や儒学の研究も始める。「神さま 仏さま お陰さま」の神仏習合の精神を掲げ、日本の国史(主に思想史)、そして本来あった日本の信仰心や宗教心についての勉強会や講演活動などを行っている。

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