
古今東西、いわゆる宗教迫害は尽きない。キリシタン弾圧はその典型だが、日本においても宗派を問わない。戦前の大本教、さらには安定した江戸期においてもキリシタンだけでなく仏教もその対象となった。
特に日蓮宗における不受不施(ふじゅふせ)派である。自分たちの宗旨を信仰する人からは布施を受けるが、信仰のない人の布施は受けないというものだ。同じ日蓮宗内でもその姿勢を巡って激しく対立した。
それにとどまらず、権力者との間でも不受不施派は妥協しなかった。すでに豊臣秀吉の時代にも大仏供養をした際、同派僧侶の日奥が参加を拒否したため、京都から追放されている。
江戸期はもっと激しい。寛文9(1669)年には幕府によって不受不施禁止の法令が出された。そして5代将軍徳川綱吉の時代には、同派の僧侶10人が磔(はりつけ)の刑になっている。ところがその翌年にあろうことか、〝灯台下暗し〟の事件が発生する。
綱吉の側近が鏡餅を頂戴しないということで問い詰めると、同派の信者であることを告白したのだ。綱吉は改宗を説得したが側近は応ぜず、結局八丈島に流刑となっている(三田村鳶魚著『公方様の話』中公文庫)。
これを頑迷固陋(ころう)の信仰と言うのは容易(たやす)い。だが信教の自由が確立された今日においても、その信仰と国権(国家)との緊張関係は本質的に変わらない。日本や韓国における世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対する国策は、他の宗派や宗教も「対岸の火事」と見なしてはなるまい。







