米同時多発テロ事件(9・11事件)から25年を迎え、欧州各地で様々な追悼集会が開かれた。ドイツやオーストリアのメディアは長時間番組で当時の様子を詳しく報じていた。一人のTVコメンターが事件以降、「米国民は以前のようなおおらかさを失い、生来の楽天主義が無くなっていった」と述べていたのが印象的だった。米国は「9・11前とその後では全てが変わった」と言われる。米国への出入国が厳しくなり、外から入ってくる人、モノに対して疑いの目で見るようになっていった。

3000人余の犠牲をもたらした同事件はその後の米国の政治、文化、社会など全ての分野に大きな影響を及ぼしていった。今年が25年という節目を迎えたこともあって、同事件の関連死についても多くの実例や生存者の声を紹介していた。崩れ落ちるワールドトレードセンタービルの粉塵で当時その周辺にいたニューヨーク市民や救助隊員の中に肺疾患やがんを患い、後日亡くなった人々が多く出てきた。
ところで、9・11が起きた日、当方はウィーン市内の精神病院に入院中の知人を見舞いに行っていた。患者たちの食堂にあった小型テレビが同事件を報じていた。米国繁栄のシンボルでもあるワールド・トレードセンターに民間旅客機が突っ込んでいくシーンが映し出された。とっさに何が起きたのか理解できなかったが、アナウンサーの興奮した声が事件の異常さや恐ろしさを伝えていた。
当方は当時、9・11についてじっくりと考える余裕がなかった。頭の中を病院にいる知人への思いが占めていたからだ。明るく、陽気だったその知人は数か月前から心のバランスを失った。当方の訪問を喜んでくれたが、同事件のテレビニュースを見て「怖い、怖い」と叫び、寄り掛かってきた。
知人が入院している病院はアドルフ・ヒトラーのナチス政権時代、精神障害者や身体的不治の患者たちを集め、様々な人体実験を行っていたことで知られていた。知人がその病院のベッドにいる、という事実が当方の心を重くした。9・11が単に米国でのテロ事件でなく、世界史的な意味合いを持つものとの思いが沸いてきたのは後になってからだ。
バチカンニュースは11日、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が9・11の直後に一般謁見で語った話を紹介していた。
「昨日は人類の歴史において暗い一日であり、人間の尊厳に対する恐ろしい攻撃が行われた。その知らせを受けて以来、私は事態の推移を深い懸念をもって見守り、主に心からの祈りを捧げてきた。これほど獣のような残虐さを持つ行為が、どうして起こり得るのか。人の心には、言葉にできないほどの邪悪な計画――人々の平穏な日常を一瞬にして打ち砕きかねない計画――を生み出しうる深淵が潜んでいるのだ。憎しみと暴力の連鎖が支配することがないよう、神にお願いする」
同2世の願いに反して、ブッシュ米政権(当時)は9・11後、アフガニスタン、イラクなどに軍を派遣し、報復作戦を展開させていった。
2023年のハマス奇襲テロ事件の後は、イスラエル軍がハマス撲滅の報復攻撃を実施。米・イスラエル軍のイラン攻撃後は、イラン革命防衛隊(IRGC)がイスラエルや駐中東の米軍基地などへ報復攻撃を行っている。「憎しみと暴力」は問題の解決とならないが、残念ながら世界各地で拡散しているのだ。
当事国の米国で9・11の国防総省主催の追悼式典に出席したトランプ大統領は「私たちは決して、決して忘れない。だからこそ、私たちは今日も戦う。選択の余地はない」と述べている。大統領として、毅然とした強さと現在の脅威に対抗する決意を強調したわけだ。ただし、戦争(暴力)が問題の解決をもたらさないことをトランプ氏自身が現在、体験しているのかもしれない。
9・11から25年が経過した今日も多くの政治指導者は、事件を「民主主義 vs テロリズム」「善 vs 悪」という構図で語り続ける。しかし、故ヨハネ・パウロ2世が語った「人間の心そのものの闇」についての哲学的考察、検証は乏しい。時間がまだ十分ではないからか、‘事件の核心‘から目を逸らさせられているからか。当方には後者のように感じる。







