
儒教にはいろいろな側面が存在していますが、日本では江戸時代に大きく発展した儒学についていろいろ考察してみました。今回は、その朱子学が近代日本に与えた影響について考察し、私見も交えて述べてみたいと思います。
■変容していく御用学問
江戸時代には武士の幕藩統治のために重用された「官学としての朱子学」と日本人の生活実践のために作られた陽明学や心学などを中心とした儒学、いわゆる「日本儒学」がありました。私はあえて江戸時代の儒学を「官学としての朱子学」と「日本儒学」の二つに分けて考えています。なぜなら、この二つは天と地ほどの違いがあるからです。
朱子学における名分論(大義名分)は社会の上下秩序や君臣・父子の関係において、それぞれの立場(名)に応じた義務や分際(分)を厳守すべきとする道徳・政治思想です。上下の秩序を「理」にかなった絶対的なものとし、社会の安定と統制を維持する根拠としました。これが、徳川幕府の統治に好都合だったために、これ以上ない便利な学問として重用されたのです。武士社会の秩序を守らせるため、幕府は多くの御用学者を登用し、本来の朱子学の教えを歪曲(わいきょく)させて江戸幕府に都合の良いように奉仕し、その方針を正当化するために儒教を利用しました。

一般的に朱子学は悪、陽明学は善のように扱われていますが、朱子学も学ぶべき点は多くあります。朱子学の中心は、本来「服従」より自己修養でした。人間には、気質の偏りや私欲があるため「正心、誠意、修身」が重要です。朱子学も本来は「他人を正す技術」ではなく、「まず自分を正す教え」だったのです。
しかし、為政者や御用学者が歪曲して、儒教を利用しました。その「歪曲」の核心は、次の三つです。①おたがいさまを、一方的絶対服従制度に変えた②自己修養を、他者統制、他者矯正に変えた③道理の探究を、支配者の決断を絶対正義とする社会へと変えた―。「自分を修め、共に生きるための儒学」から、「他人を治めるための儒学」へ変貌してしまったのです。
■幕末に倒幕志士思想が凶暴化
仏教とは違い儒教の教えは、解釈の世界です。どのように読み、感じ、解釈するのかは各々に任されるのが儒教だと私は見ています。
幕末になるとさらにその思想は凶暴化していきました。儒学の「義・忠・勇・誠・名分」だけが肥大化し、「仁・恕・礼・中庸・自省・規範」が切り落とされ、自己の都合の良いように教えを解釈するようになりました。
他人には厳しく自分には甘く、自らの情熱や信念、時には感性を絶対視し、他者への配慮や熟慮を軽視する独善的な振る舞いをする人が増えました。彼らは慎重論を臆病と非難し、正論を偽善と見なし、過激さを美徳として称揚し、狂乱的行動を好みました。そして、自らの「正義」を根拠に他者への犠牲や加害さえ正当化してしまう思想に変化していきました。そこに尊王思想、国学、武士の名誉や面子(メンツ)、外圧と幕府の統治崩壊が重なり、私的殺人を「天誅(てんちゅう)」と言い換える思想が正義とされました。
国立公文書館も、「桜田門外の変」や度重なる外国人殺傷事件、岡田以蔵や田中新兵衛らによる「人斬り」などの暗殺と報復を繰り返したこの時期を「テロの時代」と表現しています。
■儒教倫理の「国家道徳化」
幕末の倒幕運動を主導した志士の多くは、下級武士、町人、商人といった広義の下層階級の出身者でした。彼らは江戸時代の幕藩体制を支えた朱子学的な身分制度に苦しめられていたはずなのに、明治新政府の権力を掌握すると、一転してその統治論理を援用し、国民全体を管理する体制を構築していきました。
明治政府は強い国家を作るために国家神道体制を構築し、その最高祭司に天皇を置きました。主君への忠義が天皇・国家への忠誠に変わったのです。その手段として行われたのが、神仏分離令でした。一方で、全国民を一つの近代国家へ統合するための共通道徳を必要としました。そこで江戸以来の忠・孝・礼・勤勉・服従などを再編集し、武士だけでなく国民全体に儒教思想を基本とする「修身」を教科の冒頭に置きました。この押し付けられた道徳と修身は現代の日本にもひずみとして大きく傷跡を残したと私は感じています。
儒教、いわゆる孔子や朱子の学問は、本来、「まず自分を修めるため」の学問でした。しかし、近代では、「他人を支配し管理するための道具」として利用されたと断言してしまうのは言い過ぎでしょうか。
明治維新は、近代日本を築く上で絶対に必要な大事業だと私も確信しています。その中で活躍した草莽(そうもう)の志士たちにも感謝しかありません。しかし、彼らの努力の陰で実行された明治政府の功罪をしっかり見極める時期が来たのではないでしょうか。プロパガンダや歴史小説によって作られた「明治維新」絶対視の考えは冷静に評価する必要があると思います。
さらに言えば、明治維新で分離された神道と仏教、江戸時代以降に曲解され悪用された儒教、さらには江戸時代に完成を見た日本人の知恵としての「日本儒学」。これらの本当の価値と在り方をぜひ皆さまと一緒に考えていきたいと思います。
プロフィール
藤 宗現(ふじ・そうげん)
本名・藤重太。「宗現」は茶道の宗号。1967年、東京都生まれ、千葉県育ち。成田山(真言宗)が運営する成田高校を卒業。18歳で単身台湾に留学、国立台湾大学を卒業。現在は日本と台湾の交流アドバイザーなど顧問業を生業とする。台湾留学や日本語講師を経て、日本人としての自覚を強め、古き良き日本を探究中。35歳で仏門に帰依し、仏教を本格的に教わる。その後、「仏教だけでは日本の本質は理解できない」と考え、神道や儒学の研究も始める。「神さま 仏さま お陰さま」の神仏習合の精神を掲げ、日本の国史(主に思想史)、そして本来あった日本の信仰心や宗教心についての勉強会や講演活動などを行っている。








