
前回は、儒教と日本儒学についてお話ししました。今回は、儒教とは何か、さらに考察を深めたいと思います。
■儒教は宗教か?
「儒教は宗教か」という問いには一律の答えはありません。宗教としての側面がある一方、まったく宗教とは懸け離れた側面があるのが儒教です。「儒教」には、祖先祭祀・天への祭祀(さいし)・聖人崇敬など宗教的要素も存在します。ただし、これまで整理してきた「宗教=信仰対象・救済論・儀礼・宗教組織などを備えた体系」という意味で見るなら、私は宗教というより「倫理思想・政治思想・人間形成の学」と整理する方が分かりやすいと考えます。
台湾の友人に「儒教は華人にとっては宗教か?」と尋ねた際、「儒教は試験科目だよ」と答えられた時には唖然(あぜん)としました。さらに「華人にとって儒教は生活の中で活(い)かされているのか?」と聞くと、「儒教の教えで生きたら、息苦しくて生きていけない。台湾人は道教で生きているよ」と冗談混じりに教えてくれました。また、「儒教は自分の生き方の原理原則を探す参考にはできても、それを社会や他人に押し付けたらダメだよ」とも聞いたことがあります。
孔子の関心は、死後の救済や神への帰依(きえ)よりも、実社会の中で人間はどう生きるべきかという点にありました。論語を読むと、孔子はたいへん人間味に満ちていた人だと思います。そこには教育者、哲学者としての側面はあっても、宗教家の側面はなかったと思います。しかし、後世の儒学者は孔子を神聖化し、権威化して儒教を発展させていきました。その発展の過程は、とても複雑です。
簡単に要約すると、孔子の唱えた教えと、孟子、荀子(じゅんし)の思想と三教時代の儒教、その後の朱子学、そして陽明学はすべて似て非なるものなのです。以前に神道にもいろいろな側面があると申しましたが、仏教にも儒教にもいろいろな側面があるのです。それを一方から見てそれが儒教だ、仏教だ、神道だと決め付け、思い込んでしまうと、本質や真の姿を見失ってしまうのです。

■日本の儒教伝来
儒教の日本伝来についても議論が必要です。日本への導入については、『古事記』に、応神天皇の頃に百済から王仁が『論語』十巻と『千字文』一巻をもたらしたと記されています。その後、6~7世紀には儒教の徳・礼・孝などが政治思想に取り入れられ、7~8世紀には五経や経学が大学寮の官人教育に採用されました。しかし日本は中国の儒教社会をそのまま導入したのではなく、神祇(じんぎ)祭祀や仏教、固有の社会制度と組み合わせて国柄に合うように取捨選択をしています。従って古代の儒教は、思想や宗教として受容されたのではなく、教養として中国の政治・教育・礼制・漢学を取り入れ、国家形成の参考にしたと見るのが適切だと思います。
思想的に深く日本に儒教が取り入れられたのは、鎌倉後期のことです。禅を学ぶために宋に留学した僧侶が、当時南宋で流行していた儒教、とりわけ朱子学の書物を日本に持ち込んだのが始まりです。明時代には陽明学も僧侶によって日本に伝来しました。禅宗と儒教がとても相性が良い理由もここにあります。その後、儒教に通じた僧侶が武士たちの間でもてはやされました。江戸時代になると朱子学が幕府の正学になり、幕府や諸藩の教育で重んじられるようになりました。それまで僧侶や武士の間での教養であったものが、「武士社会」の秩序を形成する制度に取り入れられたのです。
■熟成した日本儒学
戦いに明け暮れた「戦国時代」が終わり平和な江戸時代が始まると、徳川幕府は二度と下克上や戦乱の世を繰り返さないために、朱子学を利用して新しい時代の武家制度の完成を目指しました。
藤原惺窩(せいか)によって徳川家康に推挙された林羅山がその中心人物になりました。武家諸法度の起草なども行い、地位や役割、上下関係、礼儀、形式、秩序、自己抑制を重んじる厳格な制度をつくっていきました。その後、家康・秀忠・家光・家綱の将軍4代に仕えた羅山は、武家の儒教社会の構築に多大な貢献をしました。なお、林羅山は神儒合一論を説き、理当心地神道(りとうしんちしんとう)に基づき仏教排斥を進めました。これが儒家神道の先駆けとなったことも覚えておいてください。その後、林家は江戸幕府の学問所のトップ(大学頭)として明治時代まで続きました。
265年続いた平和な江戸時代には多くの学問が生まれ、多くの思想家が活躍しました。江戸幕府で重用された朱子学ですが、それに対する批判や修正、実践化を経て、陽明学を中心に古学、古義学、徂徠学、折衷学、考証学などが次々に現れました。さらに儒学と神道・仏教・歴史学・政治経済論が結合し、石門心学、経世論、報徳思想などが形成され、一方では儒学・漢意への批判から国学が勃興しました。儒学、国学、史学を統合して水戸学が生まれ、それが尊皇思想にもつながりました。その他にも蘭学や和算、本草学や農学の実学も発展しました。
独自の宇宙観・社会論・合理主義・理想社会を思い描いた思想家が生まれた江戸時代は「日本思想・学問の大爆発期」と見ることもできると思います。この過程で熟成したのが「日本儒学」です。江戸時代に生まれた多種多様な思想や創作物は後の明治維新から現代にまで大きな影響を与えることになります。次回は、江戸時代から明治以降にかけて日本が受けた大きな変化と影響について考察したいと思います。
プロフィール
藤 宗現(ふじ・そうげん)
本名・藤重太。「宗現」は茶道の宗号。1967年、東京都生まれ、千葉県育ち。成田山(真言宗)が運営する成田高校を卒業。18歳で単身台湾に留学、国立台湾大学を卒業。現在は日本と台湾の交流アドバイザーなど顧問業を生業とする。台湾留学や日本語講師を経て、日本人としての自覚を強め、古き良き日本を探究中。35歳で仏門に帰依し、仏教を本格的に教わる。その後、「仏教だけでは日本の本質は理解できない」と考え、神道や儒学の研究も始める。「神さま 仏さま お陰さま」の神仏習合の精神を掲げ、日本の国史(主に思想史)、そして本来あった日本の信仰心や宗教心についての勉強会や講演活動などを行っている。








