
今まで、神道と仏教を中心にお話ししてきました。今回は、儒教と日本儒学についてお話ししたいと思います。日本人にとって、「儒教」とは何でしょうか。
■仏教、道教に対抗
礼儀を守ること、親を大切にすること、年長者を敬うこと、勉学に励むこと、社会の秩序を乱さないことなどを、私たちはよく「儒教的な考え方」と呼びます。しかし日本人の多くの方の儒教への認識に大きな勘違いがあると考えています。
孔子を祖として孟子、荀子(じゅんし)の頃は「儒家思想」と呼ばれていました。その後、南北朝時代から唐代にかけ、仏教や道教が台頭すると、これらに対抗する形で三教の一つとして儒教と呼ばれるようになりました。宋から明の時代に宋明理学(朱子学=理学と陽明学=心学)が発展すると学問としての側面が強くなり、儒学と呼ばれるようになりました。鎌倉時代に日本に伝わってきたのはこの儒学で、主に書物を通じて伝来しました。その儒学は主に禅宗の僧侶が伝えていました。儒学者という独立した存在は江戸時代になってからです。
■「狭義」と「広義」
しかし私は、儒教をさらに「狭義」と「広義」の儒教の二つに分けて考えています。一つは「狭義の儒教」です。これは孔子を祖とし、孟子・荀子をはじめ、董仲舒(とうちゅうじょ)、周敦頤(しゅうとんい)、張載(ちょうさい)、程顥(ていこう)・程頤(ていい)、朱熹(しゅき)、王陽明(おうようめい)などの儒家によって発展した思想・学問体系です。四書五経を主要な経典とし、仁・義・礼・智・信といった徳目や、孝・忠を重視するとともに、自己を修養して社会や国家をより良く導く「修己治人(しゅうこちじん)」の理念を掲げています。
もう一つが、私の言う「広義の儒教」です。これは正式な学問上の分類ではありません。日本人が儒教だと思っているものの中には、孔子や孟子の教えだけでなく、老子、荘子、墨子、韓非子(かんぴし)、孫子など、まったく別の思想家の教えまで混同している人の方が実は多いと思います。

古代中国には儒家だけでなく、老子や荘子の道家、墨子の墨家、商鞅(しょうおう)・韓非・李斯(りし)の法家、公孫竜・恵施(けいし)の名家、鄒衍(すうえん)の陰陽家、蘇秦(そしん)・張儀(ちょうぎ)の縦横家、孫武・孫臏(そんぴん)の兵家、許行(きょこう)らの農家、呂不韋(りょふい)に代表される雑家など、多様な思想学派が存在しました。また、こうした諸子百家に加えて、『史記』を著した司馬遷や『漢書』を編んだ班固のような歴史家、さらには王弼(おうひつ)や郭象(かくしょう)のように古典思想の解釈・注釈を通じて後世に大きな影響を与えた学者も存在しています。
多くの日本人が、漢字で書かれている中国から伝わった思想や格言、処世術、兵法、歴史書、政治論などを、よく区別しないまま、まとめて「儒教」と呼んでいるのではないでしょうか。それらを意味して「広義の儒教」と呼んでいます。本来は「東洋思想」と呼ぶべき広大な思想の世界を、何となく「儒教」だと考えている人が多いような気がします。私があえて「広義の儒教」と言うのは、東洋思想と本当の儒教を区別するための表現だと思ってください。私の思い違いであればぜひご指摘ください。
■江戸時代に花開く
江戸時代になると多くの儒学者が生まれます。藤原惺窩(せいか)は仏教中心の社会に儒教、とりわけ朱子学を広めた立役者です。その弟子である林羅山が徳川幕府の儒官として正式に召し抱えられました。日本の儒教、儒学がどのように発展したのかは次回詳しく説明いたします。
その後、日本人は朱子学や陽明学だけではなく、本来の儒教から東洋思想(広義の儒教)に至るまで幅広く研究をして、日本社会に合った儒学を作り上げました。私はこれらを「日本儒学」と呼んでいます。平和な江戸時代は、思想も百花繚乱(りょうらん)、多くの素晴らしい思想や古典研究だけでなく、妄想的フィクション、陰謀論、都市伝説が生まれた時代です。
その中で日本儒学者の代表格としては、親孝行と内面的な徳を重んじた陽明学者の中江藤樹、政治改革や領民救済を説いた熊沢蕃山(ばんざん)、武士の社会的責任を説いた古学の山鹿素行(やまがそこう)、人間の自然な感情を重んじた伊藤仁斎(じんさい)、古代中国の制度や礼楽を重視した荻生徂徠(おぎゅうそらい)、町人の勤勉と商業倫理を説いた石田梅岩(ばいがん)、幕末の指導者を育てた自己修養の大家である佐藤一斎(いっさい)、神仏儒の知恵を結実させ報徳思想を実践した二宮尊徳などがいました。他にも傑出した学者や教育者がたくさんいました。
江戸時代は、儒教一色の時代ではなく、「広義の儒教」いわゆる東洋思想を素材として、日本人に必要な知恵を選び、社会の秩序、礼節、人間の生き方として組み立て直したものが「日本儒学」なのです。江戸時代に花開いた、日本人による日本人のための「日本儒学」は日本の宝です。孔子の仁、孟子の思いやり、荀子の学ぶ力、墨子の兼愛、老子や荘子の柔軟さ、法家の制度を整える知恵、兵家の観察力、さらに神道への信仰や仏教的な慈悲や死生観、武士の倫理、町人の勤勉、家族や地域のつながりなどと結び付け、日本人のための処世訓へと作り替えてきたのです。
私は現代の日本人に合う形で、日本儒学を再び学ぶ時期に来ていると思います。自分を修め、他者を尊重し、社会の中でより善く生きるための実践的な知恵を見つめ直してはいかがでしょうか。
プロフィール
藤 宗現(ふじ・そうげん)
本名・藤重太。「宗現」は茶道の宗号。1967年、東京都生まれ、千葉県育ち。成田山(真言宗)が運営する成田高校を卒業。18歳で単身台湾に留学、国立台湾大学を卒業。現在は日本と台湾の交流アドバイザーなど顧問業を生業とする。台湾留学や日本語講師を経て、日本人としての自覚を強め、古き良き日本を探究中。35歳で仏門に帰依し、仏教を本格的に教わる。その後、「仏教だけでは日本の本質は理解できない」と考え、神道や儒学の研究も始める。「神さま 仏さま お陰さま」の神仏習合の精神を掲げ、日本の国史(主に思想史)、そして本来あった日本の信仰心や宗教心についての勉強会や講演活動などを行っている。








