トップコラムいにしえの日本を考える(6)日本仏教の本来の姿 生きる希望と死を受け入れる道

いにしえの日本を考える(6)日本仏教の本来の姿 生きる希望と死を受け入れる道

 前回は、現代日本の仏教に対して、やや厳しい意見を述べさせていただきました。本来、日本の仏教は、国の平安を祈り、人の心を整え、生き方と死生観を教える、社会の中心的な宗教でした。今回は、飛鳥時代から江戸時代まで宗教として日本に定着していた仏教の姿を見つめ直してみたいと思います。

■「国家公務員」だった僧侶

 日本に仏教が公伝した6世紀前半には、仏教を受け入れるかどうかを巡って争いも起こりました。用明天皇が587(用明2)年に病の平癒(へいゆ)を祈願して群臣に仏教信仰の意向を伝えたことで、「崇仏(すうぶつ)・廃仏」を巡る激しい対立が決着しました。

 次の推古天皇は594年に「三宝興隆の詔(みことのり)」を出しました。すると豪族たちは競って氏寺を建て、仏教の振興に努めました。さらに604年、聖徳太子(厩戸皇子〈うまやどのおうじ〉)が十七条憲法の第2条で、「篤(あつ)く三宝を敬え」と説きました。その内容を詳しく見分すれば、仏教を単なる外国文化として取り入れるのではなく、人々が信じるべき究極の宗教として、人間を正しく導く上で、「三宝=仏教」が必要であるとまで説いています。その内容は是非、ご自身でも調べてみてください。

 その後も歴代の天皇が仏教を篤く敬い、百濟(くだら)大寺や薬師寺などの多くの勅願(ちょくがん)寺を建立し、仏教法会(ほうえ)を行いました。奈良時代になると、律令制度で僧尼令が整備され仏教は「鎮護国家」の役割を担います。当時の僧侶は「国家公務員」だったのです。聖武天皇は国分寺・国分尼寺の建立を進め、東大寺の大仏を造立しました。

 学校の教科書では、聖武天皇の大仏建立の後の天皇と仏教の関係があまり語られなくなります。しかし実際には、天皇朝廷の仏教信仰と宮中仏事は中世から江戸時代まで続きました。京都御所には皇室の仏間である「お黒戸」が置かれ、歴代天皇の葬送や追善供養も仏式で行われていました。

十七条憲法の条文
十七条憲法の条文

■平安時代に仏教が日本化

 仏教は、天皇や貴族だけのものではありませんでした。奈良時代 聖武天皇の頃、752年には東大寺二月堂で修二会(しゅにえ)、いわゆる「お水取り」が行われています。これは僧侶が民衆に代わって十一面観音に懺悔(ざんげ)する法要で、これによって社会の穢(けが)れを祓(はら)い、天下泰安や五穀豊穣、除災招福、病気平癒など、人々の現実の苦しみに向き合う祈りでもありました。現代まで1200年以上続いていることからも、その姿を知ることができます。

 平安時代には、最澄の天台宗、空海の真言宗が広まり、仏教はさらに日本化しました。835(承和2)年には「後七日御修法」が行われるようになり、僧侶が宮中真言院で玉体安穏・鎮護国家・五穀豊穣・万民豊楽の法要を行いました。「後七日御修法」は1871(明治4)年まで約1200年弱、断続的に続きました。その後も国家や天皇の安泰を祈る多種多様な法会や密教修法が行われ、多くの天皇や皇族が寺を建て、戒を受け、出家しました。

 鎌倉時代になると、戦乱や災害、飢えの中で、仏教はさらに民衆へ開かれていきます。法然や親鸞は念仏を、日蓮は題目を、一遍は踊り念仏を説き、栄西や道元は坐禅の道を示しました。

 難しい経典を読めない人や、特別な身分を持たない人でも救いに近づける教えが広まり、仏教は庶民の生活と心にさらに深く根を下ろします。仏教は国や貴族を守るだけでなく、一人ひとりの不安や苦しみ、死への恐れに答える「民衆の宗教」へと発展したのです。特に、天災や疫病、戦が続く世の中では、仏の教えこそが心の支えだったのかもしれません。

 また、禅宗は武士だけではなく、天皇家や公家からも信仰され、建築、庭園、墨絵、茶の湯など、日本文化の形成にも大きな影響を与えました。このように、仏教は思想的影響だけでなく、建築から文学、文化にまで深く日本人に影響を与えてきたのです。

■人生の苦悩・解決を教え導く

 推古天皇の「三宝興隆の詔」で始まった日本仏教は、天皇から豪族、公家、文化人そして武士や民衆に至るまで広く伝播したのです。その中で、重要な活躍をしたのが僧侶です。特に鎌倉時代の僧侶は、寺や辻で民衆に説法をして、人としての正しい生き方、人生の苦悩やその解決方法を教え導いてきたのです。

 日本仏教の本来の姿は、国の平安を祈り、天皇の祈りを支え、神々と共存し、武士に知恵と教養を与え、民衆に生きる希望と死を受け入れる道を示す宗教だったのです。今のような葬儀や寺の経営ではありませんでした。

 現代日本には、多くの宗教が存在しています。私自身は仏教を肯定していますが、皆さんがどんな宗教を選んで心の平安、安寧を得るかは完全に自由なのです。しかし、皆さんの信仰とは別にして、日本仏教が日本の長い歴史の中で果たしてきた実績、本来の役割とその内容を知ることはきっと無駄にはならないと思います。

プロフィール
藤 宗現(ふじ・そうげん)

本名・藤重太。「宗現」は茶道の宗号。1967年、東京都生まれ、千葉県育ち。成田山(真言宗)が運営する成田高校を卒業。18歳で単身台湾に留学、国立台湾大学を卒業。現在は日本と台湾の交流アドバイザーなど顧問業を生業とする。台湾留学や日本語講師を経て、日本人としての自覚を強め、古き良き日本を探究中。35歳で仏門に帰依し、仏教を本格的に教わる。その後、「仏教だけでは日本の本質は理解できない」と考え、神道や儒学の研究も始める。「神さま 仏さま お陰さま」の神仏習合の精神を掲げ、日本の国史(主に思想史)、そして本来あった日本の信仰心や宗教心についての勉強会や講演活動などを行っている。

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