トップコラムいにしえの日本を考える(4) 「宗教」とは何か 信じるのではなく学ぶ

いにしえの日本を考える(4) 「宗教」とは何か 信じるのではなく学ぶ

 今回は「宗教」について、考察したいと思います。人間は「どう生きるべきか」「なぜ苦しむのか」「なぜ死ぬのか」「何を大切にすべきか」など、生きていく上での疑問に答えを与えてきたのが宗教です。

 多くの宗教は信仰から生まれたのではなく、その起源は、偉大な人物や教えに信仰が集まり、宗教として形成されてきたと言った方が良いでしょう。宗教には、教祖、教義、教団が必要であるとされています。それは、偉大な超人間的聖者が顕(あらわ)れ、人々に安心を与える教えを説き、それを信じる集団が形成されてきたからなのです。

■「死」から生まれる宗教

 宗教は、なぜ生まれたのでしょうか。

 根源は、自然への畏れです。人々にとって、天候(台風や日照)や天災(地震や疫病)などは、人間の力だけではどうにもならないものでした。そのため、人々は自然の中の大きな力に、畏れ、祈り、感謝しました。このような自然や見えない力への畏敬の念が、自然崇拝となり信仰となりました。その後、天候や天災を予見し、操れるものが、尊敬を集めるようになりました。しかし、まだ宗教までには至っていません。

 宗教が生まれた最大の理由は「死」の存在です。人は必ず死にます。それを無くすことは不可能です。死だけでなく、病気や怪我(けが)や老いは問答無用で理不尽に誰の身にも訪れるのです。「死んだ人はどこへ行くのか」「生まれ変わり戻ってくるのか」から始まり、「私はなぜ生まれたのか、この命にはどんな意味があるのか」と考えるようになります。それらの問いに論理的に答えを与えたのが、それぞれの宗教の教祖たちです。

 宗教は、倫理や道徳とも深く関係しています。宗教は、教団を形成していきます。その過程で、教団内のルール(戒律)が出来上がります。「殺生しない」「うそをつかない」…。また、宗教団体が広く民衆から受け入れられるようになるための努力も行うようになります。多くの宗教は、人間の疑問に答えを与えるだけではなく、人間の正しい生き方や社会の在り方(道徳)を説いてきたと言っても過言ではないでしょう。

■現代人に宗教は必要か

 現代人に宗教は必要なのか。

 これはとても難しい問題です。現代社会においては文明が発達し、人々が死や生きる苦しみを感じることが極端に少なくなりました。また、特に現代日本では悩みや苦しみを忘却するための娯楽や道具が無数に用意されています。物質社会が発展して、宗教不要論も語られています。そうした意味でも、すべての人が必ずしも特定の宗教団体に入る必要はないとも言えるでしょう。

 しかも、宗教や精神論を騙(かた)った怪しい教団やセミナーがたくさんあるのも事実です。皆さんの悩みや不安、願望を逆手に取り、騙(だま)そうとしている人が世の中にはあふれています。「宗教は怖い」「宗教は危ない」と感じるのも当然です。そういう環境では、無理に宗教団体に属する必要はないと私も思います。

 怪しい宗教者は、見えないもの、聞こえないもの、そして不確定な未来を信じ込ませようとします。守護霊、守護神、占い、お守りなどを多用し、お参りやセミナーに行けば運が良くなる、成功するなどと根拠のないことを並び立てます。最近は科学的権威を巧みに使う人も増えています。開運、病気治癒、祈願成就といった現世利益を強調する宗教に、本物はないと私は感じています。

 昔に比べて、死が隣り合わせではなくなりました。多くの娯楽や恵まれた環境によって人生の命題や苦悩から目をそらすことも容易な時代です。しかし、人間から苦しみや死、孤独や不安がなくなるわけではありません。権力や財力があっても、人生は思いのままにはなりません。人生の苦悩や難題に何の解決策も見つけられず苦悶(くもん)し、路頭に迷っている人は、実際に多いのではないでしょうか。 

■宗教は学ぶ時代

 親鸞(しんらん)の本に「教行信証」というものがあります。私はこの題名に宗教の学び方の本質が隠されていると思っています。まず、その宗教の語る真理を教わり、行ってみる。そして納得して信じてみれば、何らかの証が得られるのです。しかし、現代の宗教はだいたい「信じなさい」から始まります。「信心が足りない」「信仰心がない」その先には、「お布施が足りない」「お金を使わない」となります。

 宗教を学ぶことは、信者になることではありません。宗教は盲目的に信じれば救われるものではなく、やはりその教え、本質を教わって初めて何かが見えてくるものだと信じています。宗教を学ぶとは、人間とは何か、命とは何か、死とは何か、どうすれば善く生きられるのかを学ぶことです。

 宗教とは、人間が弱さや苦しみを抱えながらも、より良く生きようとして生み出してきた智慧です。宗教を遠ざけ、宗教を知らないままでは、もったいないと思います。あなたにぴったりの本当の宗教を探して、正しく学んで、人生の解を見つけてほしいと考えています。

プロフィール
藤 宗現(ふじ・そうげん)

本名・藤重太。「宗現」は茶道の宗号。1967年、東京都生まれ、千葉県育ち。成田山(真言宗)が運営する成田高校を卒業。18歳で単身台湾に留学、国立台湾大学を卒業。現在は日本と台湾の交流アドバイザーなど顧問業を生業とする。台湾留学や日本語講師を経て、日本人としての自覚を強め、古き良き日本を探究中。35歳で仏門に帰依し、仏教を本格的に教わる。その後、「仏教だけでは日本の本質は理解できない」と考え、神道や儒学の研究も始める。「神さま 仏さま お陰さま」の神仏習合の精神を掲げ、日本の国史(主に思想史)、そして本来あった日本の信仰心や宗教心についての勉強会や講演活動などを行っている。  

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