
第1回では、「信仰と宗教」について考えてみました。今回は「日本の神道」について考えてみたいと思います。
■豊作願う集団祭祀
一言で「神道」といっても、実は多くの側面があります。現在、私たちの身の回りにある神道には、神社や鳥居があり、神主や宮司といった神職がいます。祝詞(のりと)を上げ、お祓(はら)いをして、祭り、初詣や七五三、地鎮祭(じちんさい)、厄除(やくよ)けなどが行われています。われわれは何の疑いもなく、これらは古代から綿々と存在していたと考えていますが、厳密に言うと違います。人工知能(AI)の時代ですので、ぜひご自身でAIに「現在ある神道は、いつ出来上がりましたか?」と聞いてみてください。
AIからのわたしへの回答は、「現代の神道の原型は、主に明治維新(1868年)以降の国家的な宗教政策によって作り上げられました」というものでした。ここに、広い意味の神道と狭い意味の神道が存在するのです。そこで、日本の神への信仰はどのように変化したのかを考察してみたいと思います。
古代縄文時代の頃から、日本人の祖先には自然を畏(おそ)れ敬う強力な信仰があったといわれています。それは、自然崇拝、アニミズムのようなものだとも考えられています。高い山、大きな木、岩、滝、海、川、雷、太陽、月、火、水、風など、自然の中にある大きな力に古代の日本人は神秘的な畏敬(いけい)の念を感じていたのでしょう。当然、その頃には「神」という概念はありませんでした。国語学・言語学の研究で、それらを「カム」と呼んでいたことが有力な説になっています。わたしは当時の神をあえて「カミ」とカタカナ表記で区別しています。
弥生時代になると、稲作農耕が拡大します。集団祭祀(さいし)が始まり、「田のカミ」や「水のカミ」などの生産儀礼で豊作を願うようになりました。集団も形成され族長への崇拝も加わり、慰霊や先祖崇拝なども始まったと考えられています。まだ、神道としての原型はありません。その後、集落は争いと拡大を経て、国になっていきます。

■天神地祇の道 尊んだ天皇
古墳時代になると墳墓(ふんぼ)の大型化が進み、大王(国王)の偉大さを表すようになります。その後、日本をまとめるヤマト王権は、自身の祖霊を天神(天(あま)つ神)、その統一に力を貸した豪族を地祇(ちぎ)(国つ神)として祀(まつ)りました。天皇が最も大事にする神祇(じんぎ)祭祀の始まりです。
飛鳥時代、6世紀、欽明(きんめい)天皇の頃に仏教が公伝しました。その後、用明天皇が「信仏教尊神道(仏の教えを信じ、神祇の道を尊ぶ)」(日本書紀)と語り、その後、天皇として初めて仏教に帰依しました。日本書紀に「神道」という言葉がありますが、これも今の「神道」とは違っており、区別しなければなりません。その後、推古天皇をはじめ歴代天皇は、仏教を篤(あつ)く信じ保護し、神祇(じんぎ)祭祀を大切に敬いました。
その後、8世紀に古事記、日本書紀が編纂(へんさん)され、天神地祇の神々の名が整理されました。時を同じくして神仏習合が進み、真言宗の「両部神道」、天台宗の「山王神道」や「伊勢神道」が神話の神と仏を結び付けていきました。宗教的・教説的な〝神道〟の形成は、中世神道の出現によって本格的に進みます。その頃の日本では、神社には神宮寺や別当寺があり、寺の中にも氏神や土地神を祀る社がありました。神前で読経が行われ、別当と呼ばれる僧侶が神社を管理していました。多くの神社の本尊(ご神体)が仏像だったのです。当時の日本では、「神も仏も一心同体」と考えられていたのです。そのような社会が1000年以上にわたり、近代に至るまで続いていました。それが外国人の見た日本です。
■廃仏の気運強まる
ところが、江戸時代になると、朱子学が御用学問となり、さらに国学が発達し、日本古来の姿を見直そうとする動きが強まりました。古事記や日本書紀を研究し、仏教や儒教が入る前の日本の心を探ろうとしたのです。この流れの中で、神道を仏教から切り離して考えようとする思想も生まれてきました。その代表格が、江戸時代に創作された「垂加神道」や「復古神道」です。
江戸時代になると、寺僧の堕落や退廃が進み、葬式仏教が本格化しました。廃仏論を唱える儒学者と国学者の思想が武士などの間に広がり、尊皇思想に組み込まれ、結び付いて、廃仏の気運が強まっていきます。そして天皇の意向などを無視した神国思想が生まれたのです。
江戸時代が終わる寸前にその思想は政策として実行されました。それが慶応4(1868)年3月28日に太政官布告として出された「神仏判然令」です。明治政府は、神道を国家の中心に置くため、神社から僧侶を追放し、神社にあった仏像、仏具、仏塔などを壊しました。いわゆる「廃仏毀釈(きしゃく)」です。その結果としてできたのが、「国家神道」で、今の神道の原型です。
戦後、連合国軍総司令部(GHQ)により「国家神道」は解体され、今は「神社神道」として私たちの身の回りに存在しています。このように、「神道」といっても、カミから続く広い意味もあれば、現在ある神道とは違ういろいろな「神道」があったのです。残念ながら、政教分離の現代では、これらを詳しく学校で習う機会がありません。しかし、これらを知ることで真の日本の姿(国史)を理解することになると信じています。
プロフィール 藤 宗現(ふじ・そうげん)
本名・藤重太。「宗現」は茶道の宗号。1967年、東京都生まれ、千葉県育ち。成田山(真言宗)が運営する成田高校を卒業。18歳で単身台湾に留学、国立台湾大学を卒業。現在は日本と台湾の交流アドバイザーなど顧問業を生業とする。台湾留学や日本語講師を経て、日本人としての自覚を強め、古き良き日本を探究中。35歳で仏門に帰依し、仏教を本格的に教わる。その後、「仏教だけでは日本の本質は理解できない」と考え、神道や儒学の研究も始める。「神さま 仏さま お陰さま」の神仏習合の精神を掲げ、日本の国史(主に思想史)、そして本来あった日本の信仰心や宗教心についての勉強会や講演活動などを行っている。







