トップコラムいにしえの日本を考える(1) 日本人の信仰心と宗教観 生活の一部だった“祈る姿勢” 向き合い方忘れた現代人

いにしえの日本を考える(1) 日本人の信仰心と宗教観 生活の一部だった“祈る姿勢” 向き合い方忘れた現代人

 現代の日本人は「無宗教」「無信仰」「無神論」などと言われることがあります。「皆さんは、ご自身に信仰心があると思いますか?」。日本人にとっての「信仰」や「宗教」とは何なのでしょうか。今回は「信仰」と「宗教」という言葉の違いや意味をゆっくり考えてみたいと思います。

東京大神宮の本殿で手を合わせる人=東京都千代田区
東京大神宮の本殿で手を合わせる人=東京都千代田区

■信仰と宗教は別

 まず、「信仰」とは何でしょうか。

 「信仰」とは、目に見えない大切なものを信じ、敬い、感謝し、祈る心のことです。例えば、神様、仏様、ご先祖様、自然の力、命のつながり、宇宙の大きな働きなどに対して、「ありがたい」「畏(おそ)れ多い」「見守られている」「大切にしなければならない」と感じる心です。

 例えば、朝日を見て「今日も一日ありがたい」と思うこと。お墓の前で手を合わせて「ご先祖様、ありがとうございます」と思うこと。食事の前に「いただきます」と言って、命や作ってくれた人に感謝すること。人が見ていなくても「お天道様が見ている」と思って、悪いことをしないこと。これらは、広い意味で信仰に近い心です。

 つまり、「信仰」とは、必ずしも特定の宗教団体に入ることではありません。心の中にある特定の人物への念(おも)いや目に見えないものへの敬い、感謝、祈りの姿勢があれば、それは信仰心のある証です。

 では、「宗教」とは何でしょうか。

 宗教とは、特定の信仰に、教祖とその教え、儀式、経典、戒律、組織、場所、共同体などを持って、形になったものです。例えば、仏教にはお釈迦(しゃか)様、お経、お寺、お坊さん、法要、戒律などがあります。キリスト教にはイエス、聖書、教会、礼拝、洗礼、牧師や神父がいます。イスラム教にはアッラー、クルアーン、モスク、礼拝、断食、巡礼などがあります。

 このように、宗教とは、信仰を支え、教え、伝え、仲間で実践していくための仕組みです。簡単に言えば、信仰は「心」、宗教は「形」です。信仰は誰の心にも芽生えます。宗教はその信仰を体系立てるための具体的な対象(偶像)、教え、儀式、組織を持っています。

 何かへの信仰があっても、特定の宗教に属していない人はたくさんいます。反対に、宗教的な儀式に参加していても、本人の心の中に深い信仰心があるとは限りません。お葬式だけ仏教式で行う人、正月だけ神社に行く人、結婚だけ教会で行う人もいます。これらは宗教的な形に参加している状態ですが、その人がどれほど信仰を持っているかは別の問題です。そしてそれらは全て個人の自由ですが、信仰と宗教は似ているようで、全く別のものと理解する必要があります。

 ここで、日本人の「信仰」と「宗教」について考えてみましょう。

 日本人はよく「無宗教」と言われます。日本では、宗教団体に所属している人が外国に比べて少なく、宗教団体への信頼も低いという統計があります。しかも、「宗教は胡散(うさん)臭い」「怪しい新興宗教」など、宗教への不信感が強く、「何かを信仰している」「宗教団体に入っている」などと言うだけで怪しいとレッテルを貼られてしまいます。もちろん、日本には怪しい「詐欺的組織」が多いのも事実です。その影響で、隠れて信仰や宗教活動をしている人も少なくないと思います。

 外国では、「私はキリスト教徒だ」「イスラム教徒だ」「ヒンズー教徒だ」などと言えることが信頼の証でもあるのに、日本は「無宗教者」であることの方が安全であるようです。

■無意識にある信仰心

 では、いつから日本人は「宗教嫌い」「宗教不信」「無宗教」になったのでしょうか。これについては、大昔に来日した外国人の手記から探ることができます。

 16世紀に来日したフランシスコ・ザビエルは、書簡の中で日本人を「理性で教えを聞き、深く考える人々」と高く評価し、神や死後の世界について熱心に問う姿に驚いています。また明治期の小泉八雲も、日本の家庭に神棚や仏壇があり、祖先や自然に手を合わせる生活を見て、日本人の信仰が日常に深く溶け込んでいることに感嘆しています。他にも多くの外国人の手記から、昔の日本人は信仰心が高く、宗教を生活の一部として大切に育んでいたことが分かります。

 昔の日本の姿から分かるのは、日本人は本来「宗教嫌い」「宗教不信」「無宗教」ではなかったということです。「信仰心」がないとも言われますが、特定の宗教組織や団体に入ることはなくても、神様の前では頭(こうべ)を垂れ、神仏の前では手を合わせる姿が日本にはしっかり残っています。

 スピリチュアル系と言われる人の存在や写真に入り込んだ光に一喜一憂するのも、信仰心のある証ではないでしょうか。そういう観点で見れば、日本人は「無信仰」ではなく、限りなく多くの人は無意識の中に「信仰心」を持っていると言えるのではないでしょうか。

 私たちは「信仰」や「宗教」に対してどう向き合っていくべきかを忘れてしまっただけではないでしょうか。昔、日本人が持っていた「信仰」や「宗教」を思い出すには、古代縄文の頃からの「日本の神道」、教科書に出てくるような高僧が作り上げた「日本仏教」、儒家、道家、法家、墨家(ぼっか)、兵家などの東洋思想から先達が日本人の生き方を考え抜いた「日本儒学」などを「日本思想史」として学ぶことでひもといていけると確信しています。

 今後、ぜひ皆さまと一緒に探究できればと思っています。合掌。

プロフィール
藤 宗現(ふじ・そうげん)

 本名・藤重太。「宗現」は茶道の宗号。1967年、東京都生まれ、千葉県育ち。成田山(真言宗)が運営する成田高校を卒業。18歳で単身台湾に留学、国立台湾大学を卒業。現在は日本と台湾の交流アドバイザーなど顧問業を生業とする。台湾留学や日本語講師を経て、日本人としての自覚を強め、古き良き日本を探究中。35歳で仏門に帰依し、仏教を本格的に教わる。その後、「仏教だけでは日本の本質は理解できない」と考え、神道や儒学の研究も始める。「神さま 仏さま お陰さま」の神仏習合の精神を掲げ、日本の国史(主に思想史)、そして本来あった日本の信仰心や宗教心についての勉強会や講演活動などを行っている。

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