
迫害とは、力で弾圧・排斥する行為を指す。宗教迫害はその典型だろう。国家によって教会などの施設はもちろん、その信徒の生命・財産も侵害される。戦前の日本でも治安維持法下、迫害が行われた。大本教では施設が破壊され、多くの幹部信徒が牢獄につながれた。
戦後はこうしたあからさまな弾圧はないが、その本質は変わっていないとみるべきだ。世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)に対し、宗教法人法に基づく「解散」後も信教の自由は保障されると再三、文部科学省は強調したが、その虚偽は明白だ。
内面だけでなく、集会や社会的活動も含めた信教の自由である。「解散」決定以降、家庭連合の施設は使用を許されず、公共の施設使用さえ困難なケースも少なくない。
信徒からは「礼拝所が奪われ、祈りやコミュニティーの場所がなくなった」といった訴えのほか、「環境が変わり食欲がなくなった」「眠れない」などの声も聞く。
しかし、信教の自由が大きく侵害されている実態はまったくと言っていいほど報じられない。「解散」措置を受けたのだから当然の報いといった風潮が根底にあるのだろう。
日本的宗教観では内面の信仰が重視され、宗教団体の社会および政治活動には厳しい目が注がれる。既成秩序ひいては体制への挑戦とみられるからだ。「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」(マタイ伝)という。既成の「法の支配」も運用が問われるのではないか。






