「保守派の論客」と呼ばれた東京大学名誉教授の辻村明と「沖縄革新県政」を牽引(けんいん)した元知事の大田昌秀が東大新聞研究所(現大学院情報学環教育部)で沖縄のメディアを研究し、共著『沖縄の言論 新聞と放送』(南方同胞援護会、1966年3月刊)を出版したことがある。
この著書によれば、地元紙の琉球新報と沖縄タイムスの出自はいずれも沖縄戦後の進駐米軍だ。第2次世界大戦終戦直前の45年7月、米軍は住民の宣撫(せんぶ)工作のために「ウルマ新報」(後に琉球新報と改題)を作らせた。
初代社長は社会主義者の島清、2代目は瀬長亀次郎(元沖縄人民党委員長、元日本共産党副委員長)。各地の支局長は全て人民党員で米軍から供与されたジープを組織づくりにフル活用した。
同紙の左傾化に驚いた米軍は48年7月、戦前の新聞人(沖縄朝日新聞系)に沖縄タイムスを作らせた。「創刊のことば」(同1日付)には「吾々はアメリカの暖かい援助のもとに生活してゐる。この現実を正しく認識することはとりも直さずアメリカの軍政に對する誠実なる協力であり、また、これが沖縄を復興する道」とある。
72年の本土復帰後、左翼勢力が反米闘争の拠点づくりに大挙押し掛け、感化された両紙は出自を押し隠して「反米軍基地」を競い合った。
名護市辺野古沖での女子高校生死亡事故後、「沖縄の言論」が問われている。辻村が生きていれば叱り、大田なら褒めちぎるか。この件で両者が協力するとは思えない。





