トップコラム幕末の官僚、川路聖謨【上昇気流】

幕末の官僚、川路聖謨【上昇気流】

 川路(かわじ)聖謨(としあきら)といっても、さほど有名な歴史上の人物ではない。幕末の飛び切り有能な幕府官僚の一人には違いないが、勝海舟や大久保利通といった政治家に比べれば知名度は低い。

 享和元(1801)年4月25日に生まれた。官僚と言っても叩(たた)き上げだ。取り調べの時は、学問がないように川路が振る舞うと、犯人は得意になってペラペラしゃべる。その隙を突いて尋問する、などという話もあった。

 若い頃のエピソード。木材調達の件で木曽へ40人を連れて出張した際、山小屋に泊まった。夜中、外で大声で呼ぶ声がする。川路が刀を持って戸を開けてみると、極めて背の高い男が下って行った。部下は山男だろうと言う。この話が、その後柳田国男にも伝わって、彼の『山の人生』に記録されている。

 身分社会の時代だから、叩き上げの自身へのコンプレックスはあっただろう。が、幕末期、奈良奉行を5年間務めてその地を去る時は、貧民多数が見送ったという泣かせるエピソードもあった。

 川路は次官級まで出世したが、大老井伊直弼に対してズケズケ物を言ったこともある。尊大な大老と率直な高級官僚の対立となれば川路の負け。左遷や処罰や免職もあった。

 晩年、中風(脳出血後のまひ状態)となって気力も失われた。官軍の江戸城総攻撃の予定日だった慶応4(1868)年3月15日、ピストル自殺を遂げた。総攻撃の件は知らなかったという(野口武彦著『勝海舟の腹芸』新潮新書)。

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