
明治の文豪、森鴎外の遺書は「余ハ石見(いわみ)人森林太郎トシテ死セント欲ス」という冒頭の一節がよく知られている。1922年7月6日、鴎外の意向で、古くからの友人賀古鶴所(かこつるど)が遺書として書き取った。7月9日の朝、鴎外は亡くなった。60歳だった。
鴎外は死後、いろいろな名誉が与えられるのを予測し、うっとうしいと感じていたのだろう。鴎外のぜいたくな希望は当然無視され、従二位という官位も含めて、多くの栄典が贈られた。従二位は征夷大将軍相当の官位だ。
その一方で、遺書以外の鴎外の言葉としては「バカバカしい」というのも残っている。これは鴎外の長男、森於菟(おと)がだいぶ後、終戦直後の46年の段階で公表したものだ。
死去当日の朝、鴎外が「バカバカしい」と言ったということを聞いたことがある、という。しかし、この当時、於菟はヨーロッパに滞在していた。時期は不明ながら、帰国後に「バカバカしい」の話を知ったのだろう。医学者だった於菟は、鴎外の主治医あたりから聞いたのだろうか。
「石見人」の遺書の話も興味深いが、「バカバカしい」はもっと面白い。於菟は「父にとって人世全体が馬鹿馬鹿しかったのか、それは誰にもわからない」(『森鴎外』)と回想している。
「バカバカしい」のは世間がそうだというだけではない。自身のありようも含めて「バカバカしい」と言いたかったのではあるまいか。「鴎外だったらありそうなこと」と思えてしまうのだ。





