
福岡市郊外の片田舎で育った私の宝物は、花畑小・中学校同級生との絆である。1学年120名程度の小・中持ち上がりの級友で、皆が互いによく知り合って仲が良い。今年は小学校卒業70周年の節目の年で、東京、大阪からも駆け付け2割を超える25人が参加した。
80すぎの集まりとなれば、近況報告の関心事はおよそ「健康」「病気」「クスリ」に「お墓」の話が定番である。が今年は違った。何と「日本の防衛」「わが身の安全」が話題になったのである。近年のウクライナ戦争、イスラエル・ガザ紛争や、今まさに緊迫の度を増す米・イスラエルのイラン攻撃に見る一般市民の被害惨状を見ての話だ。
特に、弾道ミサイルやドローン攻撃に市民の住居ビルが無残に破壊・炎上している映像にひどく心を痛めながら「日本は大丈夫なのか」が話の原点だった。
今、世界で起きている無謀な戦争が東アジアで起きても不思議ではない。特に不透明な軍事大国である中国、ロシア、北朝鮮の脅威に直面するわが国は、常に緊張感を持って警戒する必要がある。この3正面の脅威の高まりに対し、近年わが国は防衛費GDP(国内総生産)比2%への増額、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有など、防衛力強化のギアを一段と上げている。加えて強固な日米同盟を基軸に、インド太平洋の同志国との連携を進めて戦争抑止力を一層高めようとしている――などと説明したが、それでも攻撃してきたら、ミサイルが飛んできたら、ドローン攻撃があったら、自衛隊が全て落とせるのかと質問が続いた。
私は、抑止が破れ戦争になったら戦うしかない。何よりも重要なのは国民の国を守る意志であり、攻撃に屈しない抗戦意識だ。自衛隊が国を守るのではなく、自衛隊が最前線に立って戦い、国民が一丸となって守るのだと強調した。
日本国憲法に謳(うた)う国民の3大義務は、「納税、教育、勤労」で世界標準の「国を守る」義務がない。前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」に、第9条の戦争放棄へと続き、「国を守る」ことに全く触れない特異な憲法である。従って学校教育の現場では「日本の防衛」「自衛隊」に関する授業がない。イザとなったら国民の防衛意識、抗戦意識をどう高め、行動に導くことができるかが喫緊の課題である。そのためには、憲法前文と9条を見直し、国家の尊厳性と国防の重要性を謳う自主憲法の制定を訴えたい。
どんな国でも全てのミサイルやドローンを落とせない。ウクライナもイスラエルも防空網をくぐり抜けて飛来する敵弾にやられている。しかし、あれだけ施設、住居ビルが破壊されても死傷者数が意外に少ない。ウクライナでは攻撃に対する被害極限と避難行動について周知され、空襲警報が鳴れば市民は一斉に地下室に潜り自らの命を守るという。
日本には地下施設が極めて少ない。地下鉄や地下街を活用できると言われても大都市に限られ、近傍住民でなければ殆(ほとん)ど活用できない。政府や東京都は新築マンションには有事の避難スペースとしての地下室設置を義務付けるべきである。
翌朝、郊外の「油山」に登った。小学校時代に毎年登った懐かしい山だ。久々に展望台から福岡市街を見下ろすと、高いビルが立ち並び高速道路が畝(うね)っている。その発展・繁栄ぶりを嬉(うれ)しく眺めながら、ふと、敗戦時の焦土と化した東京市街の画像とが重なった。
そうなっては絶対に駄目だ。満開の桜を楽しむ市民の平和がいつまでも続けられるように国民の皆が「今の幸せは自らが守る」の意識を高めて、国防に努力してほしいと乞い願う。「そのために自分は何をなすべきか」と自問自答しながら福岡を後にした。
(遠望子)





