旧来の防御戦法を踏襲
戦場の実相知らぬ幕僚が作戦立案

米軍が開発している対日戦用の新型長距離爆撃機の実戦配備が近いことを日本は知っていた。B29である。当初米軍はB29を中国の成都に配備したが航続距離の関係で九州北部しか爆撃できなかった。しかしマリアナ諸島を手に入れれば、北海道を除く日本本土のほぼ全域をB29の爆撃圏内に収めることができる。
そこで米統合参謀本部は昭和19年3月11日、マリアナ攻略作戦を決定、サイパン島の上陸予定日は同年6月15日と定められた。総指揮は第5艦隊司令官スプルーアンス大将が執ることとなった。
一方、東條英機首相は「サイパンは難攻不落」と豪語していた。だがサイパン防御態勢の実態はお粗末そのものだった。米軍進攻が予想されていたにもかかわらず、なぜ十分に島の防御を固められなかったのか。
中部太平洋の防衛は陸海軍間の協定で海軍の担当であった。だがこれまで見てきたように、海軍は攻勢絶対主義で防御に意を払おうとしなかった。マリアナ方面全体でも500人ほどの陸戦隊を配置していただけだった。
しかし昭和18年9月に絶対国防圏が設定され、さらにマーシャル諸島を失うなど国防圏の寸前にまで米軍が迫る状況の下、ようやく海軍も昭和19年3月、米軍の進攻に備え中部太平洋方面艦隊を新編、また太平洋に点在する島嶼(とうしょ)を不沈空母に見立て、基地航空部隊からなる第1航空艦隊を整備し、その司令部をテニアン島に進出させた。
同じ頃、陸軍もこの方面の防衛に乗り出し、昭和19年2月に第31軍を新設した。だが兵力増強の余裕に乏しく、第31軍はマリアナだけでなく小笠原、パラオなど広大な地域を受け持たねばならなかった。さらに米軍の進攻時期を昭和19年秋以降と遅く見込んでいたことや部隊の輸送に苦しみ、マリアナ進出は遅れた。
昭和19年2月29日、第31軍の隷下部隊となる第29師団第18連隊約3千人を乗せた輸送船が米潜水艦の攻撃を受け将兵の半数が死亡、戦車、重火器も全て海没した。5月20日、サイパン島防衛の主力となる第43師団の先発部隊が現地に着いたが、同師団は内地で新編されたばかりで年齢の高い兵が多く、実戦経験も皆無だった。
さらに同師団の後続部隊7千人が内地を出港したのは5月29日、この時も米潜水艦の魚雷攻撃で輸送船8隻中5隻が沈み壊滅的打撃を蒙(こうむ)る。残存部隊がサイパンに辿(たど)り着いたのは6月9日。米軍上陸6日前で、埠頭(ふとう)には陸揚げされた物資が積み上げられたままだった。

僅か20日余りで陥落
作戦計画も迷走した。陸軍参謀本部は米軍の主反攻線はニューギニアからフィリピンで、防備堅固なマリアナには来ないだろうと判断、一方、連合艦隊司令部はビアク支援に拘(こだわ)り、また3月にパラオ諸島やヤップ島が米艦載機の大空襲を受けたことから、ビアクの次はマリアナよりもパラオが最も危ないと予測するなど、米軍の進攻地点を巡り意見が定まらなかった。6月11~12日、マリアナが米艦載機の大空襲を受け、その直後に米艦隊マリアナ接近中の情報を得て、日本はようやく米軍の本命がサイパンであることに気付いたのだ。
その上、海岸砲台の設置や機雷・地雷、鉄条網の敷設など十分な防御陣地の構築が間に合わなかったにもかかわらず、参謀本部は従来の戦法を踏襲し、敵が海岸線に上陸するのを全力を以(もっ)て阻み撃破する水際撃滅戦術で臨んだ。だが米軍火力の凄(すさ)まじさは参謀本部の想像を遥(はる)かに超えるものであった。上陸部隊を支援する米軍の猛烈な砲爆撃の前に守備隊は早期に無力化された。東條の自信は吹き飛び、サイパンは僅(わず)か20日余りで陥落してしまう。
東條だけでなく、参謀本部の幹部もサイパン防衛に絶対の自信を持っていた。サイパンでの戦闘が始まった直後、参謀本部の真田穣一郎第1部長と服部卓四郎第2課長は部下に対し「中部太平洋で一番堅固な正面に敵はぶつかったのだから、これは敵の過失だ。必ずサイパンは確保する」と断言した。この強気の発言は忽(たちま)ち裏切られることになる。

後方にいた高級参謀
南方の島々で玉砕戦を重ねながら、制海空権を握り絶対優勢な戦力の下に上陸する米軍に対し旧来の島嶼防衛戦術では対抗し得ないことに、この時点になってもなお軍中央が気付いていないことには驚かされる。
旧軍の高級参謀は、自ら航空機に同乗し出撃に加わることはなく、如何(いか)に米軍の対空砲火が激しく、待ち構えている米艦載機の防御網を突破することが至難であるかを身を以て体験しなかった。地上戦闘における物量に物を言わせた米軍火力の凄まじさ、天地を揺るがすような艦砲射撃の恐るべき威力を肌で学ぼうともしなかった。後方に身を置き、戦場の実相に不知な軍中枢の幕僚が旧態依然の知識や精神主義で立案した作戦で勝てるわけはない。
「戦史研究家ノ批評二俟ツヘキ点ハ中部太平洋島嶼防衛戦斗二関スル、陸軍作戦責任者ノ戦略、戦術思想ナリ…日進月歩セル卓抜ナル科学力ヲ基礎トスル戦略思想ノ飛躍二対シ旧態依然トシテ牙城ヲ固守、何人ノ忠言ヲモ拒否シ来レル自慰的自負心ノ罪二帰セサルヲ得ス」(大本営陸軍部戦争指導班「機密戦争日誌」)。
サイパン島は、平坦(へいたん)で縦深もない南洋の小島とは違う。早期に島に戦力を送り込み、艦砲射撃や空爆を無力化する地下陣地を張り巡らせ、さらに山がちなサイパンの地形を利用し、米軍を内陸部に引き込んでの阻止持久戦を選んでおれば、より長期にわたり戦闘を継続することが可能だったはずだ。
(毎月1回掲載)






