トップコラム太宰治の弟子、小山清【上昇気流】

太宰治の弟子、小山清【上昇気流】

 「太宰治は人なつっこく、ふしぎな魅力があって、多くの若い崇拝者や弟子にとりかこまれていたが、小山清と田中英光とは、弟子の中の弟子といっていいだろう」と作家の臼井吉見が「作家と作品」で書いていた。

 こう続ける。「そしてふたりとも夏の夜の灯を慕い寄った虫のような目にあったといえば、言いすぎだろうか」。田中は太宰の「激しさ」を、小山は「優しさ」を受け継いでいたと言われた。

 東京・三鷹市美術ギャラリーの太宰治展示室で企画展「三鷹綺譚」が開かれている。小山に焦点を当てて、太宰から小山、小山からその弟子たちへ受け継がれた系譜について紹介している。

 太宰の「三鷹の此(こ)の小さい家」には日々、弟子たちが訪問し、文学談議が繰り広げられた。多くは学生たちだったが、勤めながら師事していた者もいた。小山はその一人で、1911年東京市浅草区の生まれ。新聞配達員をしながら創作に励んでいた。

 45年3月、東京大空襲で被災すると太宰は妻子を甲府に疎開させたが、一方、小山は太宰の家に転がり込んだ。4月、太宰も大空襲で甲府に疎開。小山は、太宰が戦後帰京するまでその家を守り続けた。

 太宰の死後、小山の作品は幾度か芥川賞の候補になったが受賞を逃した。同人誌「木靴」を主宰し、同人には編集者の石井立や芥川賞作家の宮原昭夫がいた。三鷹は太宰ゆかりの市とあって、文学史に埋もれた関係者にも新たな光が当てられている。5月17日まで。

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