日本には少なからず「平和主義者」がいる。「平和」の中身は不明だが、平和主義者は平和そのものについて決して語らない。「平和は尊い」を繰り返すだけだ。
大坂の陣を描いた司馬遼太郎の『城塞』という長編小説には、淀殿(豊臣秀頼の生母)の平和観が書き留められている。豊臣秀吉の側室だった淀殿は、戦国大名の娘で、少女のころに敗戦ばかりを経験した。だから「戦が怖い」。
徳川家康との戦いともなれば、息子の秀頼も自分も殺される可能性がある。が、淀殿の観念としては、秀頼はあくまでも超然たる存在だ。15年前の関ケ原の戦いでは、秀頼が西軍の大将だったわけではない(石田三成が事実上の大将)。
大坂の陣に直面していても「自分の判断に間違いはない」と淀殿は思っていた。それでも、浪人を召し抱えることについては渋々承認した。現に、浪人は何万という単位で大坂城に立てこもっている。。
『城塞』はフィクションだが、淀殿の立場については比較的正確に書かれているようだ。1614年11月下旬、散発的な戦闘が起こった(大坂冬の陣)。12月下旬、激しい戦闘の後、家康の策略で大坂城の堀は埋め立てられた。
翌年4月下旬、第2次の戦闘(大坂夏の陣)。5月6日、堀のない大坂城は焼失した。秀頼も淀殿も自害し、堀にまつわる家康の謀略は汚点と評価する向きもある。フランスの哲学者パスカルの言葉。「力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力だ」






