トップコラム二・二六事件と陸海軍【上昇気流】

二・二六事件と陸海軍【上昇気流】

 昭和史の一大転機とも言える二・二六事件から2月26日で90年。昭和天皇の弟君である高松宮殿下は当日の日記(『高松宮日記』)で、皇居周辺は通行止めになり、やっと午後3時になって参内でき「(陛下が)御元気にて安心せり」と記されている。

 この事件は一部の陸軍将校らによるクーデターだが、海軍の対応も興味深い。『日記』では「海軍ではすでに反軍と称して、連合艦隊を第二艦隊は大阪に、第一艦隊は東京湾に集合を命じて、昨日来横須賀より陸戦隊を四ケ大隊もってきて芝浦や海軍省に配して待機警備して、陸軍やらずば海軍の手にてもやると云う意気であった」。

 殿下は当時、海軍省に勤務されており、そうした陸海軍の関係がここにも反映された形だ。軍の統帥権は天皇にあったが、実際は事実上陸海軍のトップである参謀総長と軍令部総長が指揮を執った。

 この構造によって政府と軍の権限、さらには陸海軍の戦略的なズレを巡る対立が表面化することになる。陸海軍の仲の悪さがよく喧伝されるゆえんだ。

 だが、対立一辺倒だったわけではない。太平洋戦争開戦当初、小沢治三郎南遣艦隊司令長官が山下奉文第25軍司令官のマレー作戦で陸軍部隊をどんな犠牲を払っても送り届けると確約して山下を感動させている。

 戦略(観)を一致させて臨めるかどうかがことの成否を分ける。例えば今日、巨大与党となった自民党も、党是の憲法改正に向け、一枚岩となって進めるか正念場だ。

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