
先の衆院選での女性当選者は68人で全体に占める割合は14.6%だった。これをどう見るか、男女の比率が話題になっていたので競技たけなわのミラノ・コルティナ冬季五輪を思い浮かべた。
日本選手団121人のうち女子は74人で全体の6割を占めている。雪稜(せつりょう)と銀盤への挑戦では女子が圧倒しているのである。が、その始まりは尋常ではなかった。
冬季五輪に日本女子が初めて出場したのは、1936年にドイツで開催されたガルミッシュパルテンキルヘン冬季五輪である。日本選手団はスキーとスケート、アイスホッケーの3競技の総勢34人。このうち女子はたった1人だけだった。
12歳になったばかりの小学6年生、身長127㌢の稲田悦子さんである。開会式で入場行進をする彼女を見たヒトラー総統は大会運営者に思わず聞いた。「あの子供は何をしに来たのか」。翌日、このニュースが地元紙で大きく報じられ、一躍時の人となった。
稲田さんはフィギュアスケート女子で26人中10位という堂々たる成績を収めた。感動したヒトラー総統はリンクサイドまで下りてきて彼女と握手した。それが冬季五輪の日本女子躍動の最初の一歩である。
英誌エコノミストが高市早苗首相を「世界で最も強力な女性」と紹介する特集記事を掲載した。政治の世界も一人の女性が歴史を切り拓(ひら)く。国会議員のうち女性の占める割合が低いと悲観することはない。何をなすかが問われているのである。






