多死社会を迎え、いやが応でも死を意識することが増えてきた。寒い冬の時期に身近な人の訃報を聞くと気持ちが落ち込む。一方、「人生100年時代」、いかに生きるかを考えざるを得ない社会に生きている。
上智大学で40年にわたり教鞭(きょうべん)を執り、「死生学」を伝えた故アルフォンス・デーケン氏が自叙伝『よく生き よく笑い よき死と出会う』で、中年期の八つの危機の一つに「時間の意識の危機」を挙げている。
人の年齢には生活年齢と生理年齢と心理年齢の三つがあって、生活年齢(=実年齢)は変えられないが、生理年齢(=健康状態)は生活習慣の改善などである程度コントロールができる。それ以上に心掛け次第で変えられるのが心理年齢で、それが大切なのだと。
よく言われることだが、水が3分の1入っているコップを見て「〇〇しかない」と捉えるか、「〇〇もある」と捉えるかで気持ちは随分変わる。「もう70歳」と思うか、「まだ70歳」と思うかで、人生の時間は変えられるということだ。
「年金だけでは足りない」と不安を増幅させるより、与えられた時間を誰のために、何のために使おうかとポジティブに考える方が人間の脳は活性化する。そして、あの世があると永生を信じて生きる方が人間はポジティブになれる。
昨年5月30日に逝去された宗教哲学者・鎌田東二氏の遺作『日本人の死生観Ⅱ 霊性の個人史』を読むと、これを実感する。ステージ4のがん宣告後、これほど人生の時間を濃密に使い切った人を知らない。死ぬまで「遊戯三昧」の「ガン遊詩人」として旅立った。
「〇〇ができる。〇〇もできるかもしれない」。そう思って、人生の時間を濃密に生きたい。
(光)






