トップコラム「ジーキルとハイド」の教訓【上昇気流】

「ジーキルとハイド」の教訓【上昇気流】

 立春とはいえ、暖房が欠かせない時節、薪(まき)ストーブがつい懐かしくなる。昭和の学校では教室に据えられ、火を消さないために薪が傍(そば)に置かれていた。

 英作家スティーブンソンの小説「ジーキル博士とハイド氏」にも「調和しない二本の薪が一つの束に束ねられている」と薪が登場する。それは心の比喩で一本は善心、もう一本は悪心。それを束ねたのが一人の人間と捉えている。

 ジーキル博士は才能に恵まれた医学者だが、自らの人格に苦悩し、研究を重ね善悪を分離できる薬剤を調合した。だが、それは天使として現れず悪魔としての分離だった。それがハイド氏である。

 何ゆえに悪が現れたのか。「わたしの徳性がうたたねしたその隙に……悪が目ざとくもいちはやく、機会を掴(つか)み、かくして投影された」(田中西二郎訳、新潮文庫)からだという。ハイド氏は悪の一途を辿(たど)って破局し潰(つい)えた。残されていたのは彼の屍(しかばね)だけだった。

 スティーブンソンの作品には「宝島」がある。こちらは村の旅籠(はたご)で宝島の地図を見つけた少年が1本足の海賊らと船出し、本性を現した悪辣(あくらつ)な海賊を打ち負かして宝を手に入れる冒険小説だ。ここでは海賊は初め、「まことの船乗り」と思われていた。「ジーキル博士とハイド氏」に通じるものがある。

 善と悪、誠と偽り。いつの世でも人は惑わされる。そんな2本の薪が1本の束に束ねられていれば、何が真実か。徳性をうたたねさせずに見極めたい。

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