「中国は、外国から人を招ぶ。あらゆる国からあらゆる分野のひとびとを招びつづけて、中国の野に連れて行ったり、村を見学させたり、また施設や文物を見せたりする」。
作家の司馬遼太郎が『長安から北京へ』(中央公論社)で書いている。精力的な接触を通じて、一人一人を中国の理解者にしようという目的だ。その理解者を中国では「友人」と呼んだ。
司馬が日本作家代表団の一人として招待されたのは1975年5月のこと。中国を批判した曽野綾子のことをどう思うか質問され、司馬は困って「美人だと思いますよ」と答えをはぐらかした。
司馬は中国の外交について記す。外交は相手国の外交機関とするものだが、中国は独創的。国家が関係機関を挙げて私人を招く。その熱意たるや、相手が日本なら国民全てを招きたい腰の入れ方。
この時招かれた作家は他に井上靖、戸川幸夫、水上勉、庄野潤三、小田切進、福田宏年。これより前の60年に中国人民対外文化協会と中国作家協会に招かれたのは野間宏、亀井勝一郎、松岡洋子、開高健、竹内實、大江健三郎。
亀井は当時、日米安保条約改定に反対だったが、中国での国家挙げての大反対運動に度肝を抜かれた。その亀井に陳毅副首相は「今度の安保反対の大きな行動を通して、私は実は日本人をみなほした。これで日本人というものに安心したのです」。亀井は中国共産党の支持者になって帰国した。「友人」になった作家は他にもいただろう。






