トップコラム東にもいた「補佐役」【東風西風】

東にもいた「補佐役」【東風西風】

豊臣兄弟! 小一郎ことのちの豊臣秀長(仲野太賀)
豊臣兄弟! 小一郎ことのちの豊臣秀長(仲野太賀)

 現在放送中のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公は豊臣秀長(1540~91年)。終生補佐役として兄・秀吉(1537~98年)の天下統一を支えた。補佐役とは、主にリーダーや上司の仕事を助け、業務遂行の支援を行うことだ。

 東にもこの名補佐役が存在した。

 甲斐(山梨県)の武将・武田信玄(1521~73年)の弟・信繁(1525~61年)だ。武田二十四将の中の副将。父・信虎は信繁を寵愛(ちょうあい)し、嫡男の信玄を廃嫡し、信繁を嫡男にしようとする。だが信繁は、父に対し、兄への忠誠を誓った。一方で、文武に秀で和歌などを嗜(たしな)む文化人。また分国法「甲州法度次第」の原型である『武田信繁家訓』を残した。

 しかし、第4次川中島合戦(1561年)で信繁は壮絶な死を遂げる。武田軍は、軍を二つに分け、奇襲を掛けて、上杉軍を川中島の本陣と挟撃する作戦を練った。しかし早朝、すでに上杉軍が目前に迫っていた。武田軍は上杉軍の猛攻をしのぐが、信玄の嫡男・義信が血気にはやり、飛び出してしまう。信玄は「捨て置け」と言い放つが、信繁は、少ない手勢で救出に向かい、戦死する。遺骸を目にした信玄は、号泣したと伝わる。

 その後、桶狭間で今川義元が討たれると、信玄は駿河侵攻を開始。義信は妻の実家を攻めることに反発。信玄追放を企てるが、事前に漏れて義信は処刑される。これには川中島における信繁の戦死が影を落としていた。

 武田家は家臣の分裂・裏切りという最悪の形で幕を閉じた。

 「もし典厩(てんきゅう)殿(信繁)が生きていたなら」と、家臣団から漏れ聞こえたという。

(S)

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