俯瞰(ふかん)(鳥瞰)とは、高い場所から見下ろすように物事の全体像を広い視野で捉えることだ。司馬遼太郎も歴史を俯瞰して作品を発表した。そうでなければ歴史小説は書けない。読者もそのことを分かった上で、歴史小説や歴史書を読むのが普通だ。
例えば明智光秀。21世紀に生きるわれわれは、本能寺の変を起こした光秀の「その後」を知っている。羽柴(はしば)秀吉軍に追われて逃げ回る光秀が、落ち武者狩りの農民に殺された話は有名だ。
同じころ徳川家康は、光秀軍から逃れて伊賀の山中を彷徨(ほうこう)していた。家康も光秀同様、落ち武者狩りに遭ったが、何とか助かった。「伊賀越え」と呼ばれる。家康の場合は運が良かった。
数百年前も、情報があふれ返っている今の時代も「一寸先は闇」の原則に変わりはない。「この世は何が起こるか分からない」という点では、戦国時代も21世紀もそれほど変わらないのだ。しかし過去の歴史を見下すような傲慢(ごうまん)な「上から目線」であれば、さまざまな教訓を見落とすかもしれない。
遠い昔、天皇が丘に登って「国見」をされる文化があった。これも俯瞰には違いない。ただ皇室には「上から目線」ではなく、常に民を思われる伝統があった。
16代仁徳天皇が国見をした際、人家から炊煙が上がっていないのを見られ、民の貧しさに心を痛めて税を3年間免除されたという「民のかまど」の話はよく知られている。こうした思(おぼ)し召しが日本の繁栄につながったと言えよう。





