
神奈川県鎌倉市山ノ内に東慶寺がある。近くの円覚寺と同じ臨済宗円覚寺派の古刹(こさつ)で、参拝すると山門前に歌碑があった。四賀光子が詠んだ歌で「流らふる大悲の海によばふこゑ時をへだててなほたしかなり」。
北条時宗の妻だった開山覚山尼の遺徳を讃(たた)えた歌だ。東慶寺は明治に至るまで尼寺で、江戸時代には縁切り寺として知られた。円覚寺が男性的な修行の寺であるならば、東慶寺は母の懐のような寺院。
境内は梅林その他樹木も豊かだが、今咲いているのはツバキ。墓地には和辻哲郎、小林秀雄、谷川徹三、高見順、鈴木大拙、田村俊子ら文化人が眠っている。展示室に入ってみると井上禅定著『鎌倉の禅』(東慶寺文庫)があった。
かつて井上にインタビューしたことがあり、懐かしく思って買った。1974年4月の講演記録で、05年に釈宗演老師が東慶寺中興開山となり、禅を「ZEN」として世界に発信してきた寺だと紹介する。
宗演は夏目漱石の禅の師で、1893年に米国のシカゴ万国宗教会議で日本を代表して講演した僧侶の一人。その原稿を大拙が英訳したことでも知られる。以来、禅は世界的に有名になった。
では、大拙が禅の世界に入った理由は何か。それは「母の死」だったと井上は大拙の言葉を伝えている。「死の一語は実に我をして無量の感慨を生じせしむ。余がかつて母の死せるに際して受けたる主観上の一大痛撃今に忘れられず」。今年で大拙没後60年を迎える。






