
〽松竹立てて門ごとに、祝う今日こそ楽しけれ(文部省唱歌「一月一日」)。この正月、銀行やスーパーの入り口で立派な門松に出合い、思わず立ち止まって観賞し、改めて「国柄」に思いを致す時だと感じた。
人柄は「その人に本来そなわっている品位・性格」、国柄は「歴史や伝統に根ざした国の性格」のことだ。数学者の藤原正彦氏は『国家の品格』(新潮新書、2005年刊)で武士道精神に由来する「情緒と形の文明」を日本の国柄だとしている。
中曽根康弘元首相は思案を重ね、こう筆を執った。「我ら日本国民はアジアの東、太平洋の波洗う美しい北東アジアの島々に歴代相承け、天皇を国民統合の象徴として戴き、独自の文化と固有の民族生活を形成し発展してきた」と(中曽根康弘世界平和研究所「憲法改正試案」05年発表)。
日ごろ、国柄など歯牙にもかけない朝日新聞が「高市政権の今年 守る『国柄』を見誤るな」(1月6日付社説)と珍しく説いていた。もっとも朝日のいう“国柄”は「自由や人権の尊重、平和主義」で、これに反するという施策をずらりと並べていた。
それはスパイ防止法制定、国旗損壊罪新設、武器輸出を制限する「5類型」撤廃、安保3文書改定、旧姓の通称使用法制化、外国人規制強化等々、いずれも日本の国柄を守ろうとする施策だった。
朝日は柄を消し、のっぺらぼうのお化け国家を志向している。ご注意あれ、今年も「一つの妖怪」が徘徊(はいかい)している。






