
晩秋の先月末、石川県金沢市の卯辰山(うたつやま)に「長崎キリシタン殉教者の碑」を訪ねた。山頂近くの駐車場から落ち葉に埋め尽くされた山道を歩いて下ると、わずかに開けた広場に碑があった。「義のため迫害される人は幸いである」との聖書の一句が刻まれていた。
長崎キリシタン殉教者といえば「二十六聖人」が思い浮かぶ。豊臣秀吉治世の1597年のことだ。「元和の大殉教」も知られる。江戸時代初期の1622年、キリシタン55名が火炙(あぶ)りや斬首によって処刑された。いずれも長崎での出来事である。
金沢のそれは明治維新後の「浦上四番崩れ」と呼ばれる殉教者である。新政府は幕府の禁制を継承し、長崎・浦上村の隠れキリシタンを摘発、約3400名を各藩に配流した。加賀藩では500余名が卯辰山にある牢舎(ろうしゃ)などに幽閉され、100余人が折檻(せっかん)や飢餓、病魔で命を落としたという。
金沢はキリシタン大名、高山右近が四半世紀にわたって滞在し、街づくりに足跡を残している。市内にある殉愛キリスト教会の山縣實牧師は「キリシタンの柱石こそ高山右近」と確信し、「せめて右近に一曲を」と作詞・作曲を続けてこられた。その数は実に6万曲を超える。
1985年作の「殉教者の叫び」には「250年の長きにわたり30万の血が流された……(その)叫びの声が聞こえてくる」とある。
きょうはクリスマスイブ。現在にも「迫害」がありはしまいか。金沢の殉教者の碑と重ねて思いを巡らせた。






