
小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの日本の文化への理解、その根底にある霊性や土着信仰への理解には、なかなか本質的で深いものがある。
『新編 日本の面影』(池田雅之訳、角川ソフィア文庫)を読んでその感を深くした。現代のわれわれ日本人が読んでも、はっと目を開かせるものがある。
例えば、西洋人として初めて出雲大社への昇殿を許されたハーンは、そこで奉納される巫女(みこ)舞を見、その感動を次のように綴(つづ)っている。
「その一挙一動が、詩のように優雅で美しい。その舞は、西洋人のいうダンスという言葉ではとても言い表せるものではない。むしろ円を描きつつ、軽やかに、すばやい足どりで歩むといった方がよい。(中略)その顔が美しいお面のように表情一つ変えず、夢想する観音様のように穏やかで優しいのだ」
笛や太鼓の響きにも西洋とは違うものを感じた。
「彼女が舞っている間も、この世ならぬ妖(あや)しい竹笛は、すすり泣いたり、泣き叫んだりし、太鼓は呪文(じゅもん)のように低くつぶやくような響きを立てている」
眼(め)に見えない世界への感性が研ぎ澄まされた八雲は、普段日本人が、型通りの神道儀礼として見たり聞いたりしていた巫女舞に込められた霊的な波動を鋭くキャッチしたのである。
(鳩)






