トップコラムスパイ・ゾルゲが眠る墓【潮汐閑談】

スパイ・ゾルゲが眠る墓【潮汐閑談】

リヒァルト・ゾルゲの墓。横にスターリンの写真が置いてあった(10日、東京・府中市の多磨霊園で)
リヒァルト・ゾルゲの墓。横にスターリンの写真が置いてあった(10日、東京・府中市の多磨霊園で)

日本は「甲羅のないカニ」

 東京・府中市に著名人の墓が多数所在する多磨霊園がある。この一角にスパイのゾルゲが眠っている。先の大東亜戦争時に日本国内外を震撼させた一大諜報事件「ゾルゲ事件」の首謀者だ。

 ゾルゲ事件とは、朝日新聞記者だった尾崎秀実(ほつみ)がドイツのフランクフルター・ツァイツンク社特派員リヒァルト・ゾルゲとともに当時のソ連共産党のスパイとなり、首相在任中の近衛文麿のブレーンの一人として対ソ政策の混乱と日本の共産化を画策した、戦前戦後を通じて稀に見る大規模なスパイ事件である。

 その概要はこうだ。昭和16年当時、日本はドイツと組んでソ連を東西から挟み撃ちすべきか、あるいはアジア南方の英仏蘭の植民地に矛先を向けるか。いわゆる北進か南進かの大きな国策選択の岐路にあった。同年7月の御前会議で南進政策が決定。が、その経緯である重大機密がすべてゾルゲに渡っていたのだ。これで日本の対ソ進攻はないと知ると、ソ連は極東配備の半数を欧州正面に振り向ける。ソ連がその後一転して独ソ戦で攻勢に立ったのは周知の通りだ。いわば、日本は独ソ戦での独軍攻勢という誤った判断の下に対米開戦に踏み切った。

 南進決定はゾルゲの積極工作も大きい。ゾルゲの片腕といわれた尾崎は近衛首相側近のグループの勉強会「朝飯会」のメンバーとして、さらには満鉄嘱託などのポストを足場にして関東軍の動向や国策情報の入手に努めた。そのほかゾルゲは米共産党員の宮城輿徳、暗号係の無電技師クラウゼンなど主要メンバーとその配下に多数のエージェントを抱え、各界中枢に広く根を張った諜報網を構築した。

 筆者は30数年前、終戦企画としてこのゾルゲ事件を取材したが、中でも当時近衛首相の秘書官を務めた高村坂彦氏(元衆院議員)の述懐が今も印象に残っている。

 高村氏は昭和10年3月、モスクワでの第7回コミンテルン大会で決定された人民戦線戦術を挙げた。日本を支那事変の泥沼に追い込み、次いで日米を徹底的に戦わせることによって日本の敗戦と徹底破壊をもたらし共産革命を達成するという、いわゆる資本主義国家同士の「噛み合わせ」戦術だ。「当時、軍と共産主義が同様に“革新”を標榜していたが、この場合、左が右をうまく利用したということでしょうな」

 現在、スパイ防止法制定への動きがこれまでになく盛り上がっている。制定も大事だが、法自体は万全ではない。それを支える政治および国民の自覚・覚悟が伴ってこそであり、仏作って魂入れずであってはなるまい。

 久しぶり多磨霊園のゾルゲの墓を訪れた。今も墓はきれいに整備され、花カゴが脇に置いてあった。ロシアでは今も「ソ連邦英雄」だ。ゾルゲは取り調べの検事に対し、肌の色の違う日本でのスパイは困難だったとしながらも「日本はカニのようだ。外側は硬い甲羅で覆われているが、一度その内側に入ると軟らかだ。そこまで入り込めば情報を得るのは容易だ」とうそぶいた。当時筆者はこう記している。「今やその甲羅(法体系)にあたる部分もない現状に、墓地の下でゾルゲがほくそえんでいるかもしれない」と。
(黒木正博)

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