
東京都調布市の神代植物公園で「菊花大会」が開かれている。開園した1961年から続いていて今回で65回目。シンボルが「神代花車」の展示だ。荷車の上にさまざまな色彩の小菊を組み合わせ、造形している。
キクは園地に植えたのではうまく育たないため、別の場所で育て、大会に合わせて陳列している。協力しているのが神代植物公園菊花連盟の人々だ。江戸時代に発展した種類を保存することに力を入れている。
大菊や小菊盆栽、古典菊など、ファンが多い。キクは奈良時代に唐から遣唐使が持ち帰り、貴族社会で鑑賞されてきたが、今日の驚くばかりの豪華、繊細、多様なキクの基礎ができたのは江戸時代。
この時代は園芸文化の黄金期で、その担い手は大名家や武士たちだった。参勤交代制によって江戸に300もの大名屋敷が置かれると、家臣らも移住。避難所となる下屋敷は藩主の別邸で、広大な庭園が整えられた。
そこに草木を提供する植木屋も繁盛した。肥後熊本藩では6代藩主細川重賢(1721~85年)が本草学を活用して殖産興業に当たったが、家臣たちは精神修養の一環としてキクの栽培に熱心だったという。
駒込・巣鴨の植木屋は菊人形も作り、江戸後期に見世物として始まる。1908年に発表された夏目漱石の『三四郎』には団子坂の菊人形展が出てくる。賑(にぎ)わいぶりや人形のモデル名に触れているが、花へのコメントがない。作者の関心は三四郎ら人間の方にあったようだ。






